九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県糟屋郡篠栗町に鎮座する老松神社(おいまつじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。すまずが池(神池)や、天然記念物に指定されている大楠は、生命力を感じさせる神社さんです。今日で、364社目です。
鳥居
志式神社さんを後にして 次に向かったのが、老松神社さんです。初めてのお詣りでしたが、ナビでスムーズに到着 石造りの鳥居です。
大楠
鳥居をくぐり まず こちらの大楠に目が奪われました。
篠栗町指定文化財
天然記念物
昭和五十九年七月二十七日 指定
大楠(老松宮) 1本 樹高 約二十一メートル
幹回り 九.六メートル
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
社殿
社殿です。
老松神社(生田の森)の草創は古く,上古太宰府天満宮の神領地であったので,正二位菅原道真公御一門の方々が御祭神として祀られている。尚神領地になった歴史は不詳なるも天満宮安楽寺草創日記に記載されている史実に基き,道真公は承和十二年六月二十五日(八四五年)古人,清公,是善と代々学者の家として朝廷に仕えた菅原家にお生まれになった。
天職の才は幼少の頃より人々を驚かせられた由。昌泰三年(九〇〇年)九月宮中清涼殿の菊の詩会で詠まれた詩
君は春秋に富み 臣は漸く老いたり
恩は涯岸なく 報ゆること猶遅し
恩賜の御衣拜受延喜三年(九〇三年)二月二十五日栄光と苦難の五十九歳の生涯を終えられた。
其の後,延喜十九年勅命により天満宮安楽寺が建立された。さらに朝廷は延喜二十三年(九二三年)四月,道真公を右大臣に復し,正暦四年(九九三年)太政大臣の位を贈り,公の御霊を慰めることにつとめられた。御社殿は永正十二年(一五一五年)乙亥年に多々良朝臣弘詮(異体字,右は「全})が建立した。しかしそれは天正十四年(一五八六年)八月,秀公の九州出兵により高鳥居城(岳城)攻防の際焼失した。後,慶長九年(一六〇四年)黒田継高候のときに再建された。
其の後再修理されて現在に至る。明治五年十一月三日村社に列格。
昭和四年十月十五日神饌幣帛料供進社指定
希くは神明此の誠志を照覧あって国家安泰と人々の幸福を無窮に護らせ給え。
看板より
お守りお札授け所
お正月の3日ということで たくさんの方が お詣りに来られていました。お守りお札授け所です。こちらで 書置きの御朱印を拝受しました。
御朱印
御朱印は 4種類あり 全て拝受しました。
参拝券
参拝券というものがあり、なんだろうと思っていると みなさんこちらを求められ、お守りお札授け所の写真の右側の方へ行かれて くじを引いていました。
牛様
ねじり鉢巻きが素敵な 牛さまです。
御神木
社殿横にある 御神木です。
大楠 (生田森) 1本 樹高約三十メートル
幹廻 九.二メートル
根廻 十三メートル
すまずが池(神池)
「筑前国続風土記拾遺」に(老松神社の境内には池があり そこには石造りの橋が架けられてい)とあります。すまずが池と神橋のことを指しています。以前は自然流水でしたが、現在は流水しなくなり、水は張られていません。
大字尾仲に小字で塩田との地名があります。昔、塩田は窪地で湿原でした。そこに留まる水は澄むことはなく、「澄まずが池」と呼ばれていました。その地名から多少の塩分を含んでいたと思われます。
言い伝えでは「この池の水はいつも濁っており、これが澄むと戦争がおこる」と云われていました。塩田の湿原は新田開発で田園になりました。境内の池の名はその名を残したものと思われます。
境内案内板より
駐車場
神社の裏の方?に 駐車場はありました。お守りお札授け所の方に ブログ掲載の許可をいただきました。
神社情報
老松神社(おいまつじんじゃ)
福岡県糟屋郡篠栗町尾仲732-1
御祭神
右殿 齋世親王(人皇㐧六十代醍醐天皇の弟君 道真公のご息女の御婿君)
主真 菅原道真公
左殿 正三位中將英明公(齋世親王の御長男)
例祭日
一月一日 新年祭
四月二十五日 夏季大祭
七月六日 夏祭
七月下旬 子供奉納相撲祭
九月二十五日 例祭
十月十七日 おくんち祭
十一月第二日曜日 七五三祭
十一月初旬 大麻領布始祭
十二月三十一日 除夜厄除大祭
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 364社目の
御朱印をいただきました。
残り 636社です。
福岡県の御朱印が拝受できる神社
福岡県の御朱印が拝受できる寺社
福岡ご当地グルメ