九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県筑紫野市に鎮座する筑紫神社(ちくしじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。3月15日に粥占祭(市無形民俗文化財)が7月19日にはおよどが行われる神社さんです。今日で、483社目です。
鳥居
鳥居です。ちょっと奥まった住宅街に鎮座されています。で、迷いました。(-_-;)
門
鳥居から 結構な長さの参道を進み 境内です。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
社殿
社殿です。
由緒
祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると、「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた。その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった」とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。筑紫の語源は、当社の神号から起こった。
筑紫の神が 白日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命(いそたけるのみこと)という説もあるが断定はできていない。後世に玉依姫命(竈門神社より勧請)坂上田村麿を祭祀した。
当社は延喜式神名帳(927)に名神大とあり、朝廷より崇敬されていた。日本三大実録によると「貞観元年(859)に筑紫神社従四位下を奉授され、元慶3年(879)に筑紫神社従四位上を授く」とある。類聚符宣抄に天元2年(979)の官符に「住吉・香椎・筑紫・竈門・筥崎等の宮は大宮司を似てその貫首となす」とある。
鎌倉時代から筑紫村の地頭職であった筑紫氏が社司を兼ねていた。その後、享徳2年(1453)社殿が造営された。(それ以前にも社殿はあったと推測されるが、記録としては残っていない)筑紫氏は応仁・文明の頃より筑紫村を去り勝尾城(鳥栖市)に移居し武威を振るっていたが、島津勢により落城した。神領は没収、神宝や古文書類も兵火にかかり当社は荒廃した。寛文2年(1662)に荒廃した社殿を再建、延宝8年(1680)火災で焼失したが再興した。古い石の鳥居は元禄12年(1699)に建てられた。拝殿の「筑紫宮」の額も同年に寄贈された。現在の本殿は貝原益軒の愁訴により正徳2年(173)に黒田藩主から資材を賜り再建されたものだ。明治維新の近代社格制度により、明治5年(1872)に郷社に定められた。明治44年(192)に上原田の若宮神社が飛地神幸所境内地として編入された。大正4年(1916)には県社に昇格した。昭和9年(1934)には拝殿が造営され、昭和63年(1988)には筑紫神社幣殿を中心とした改築、五所神社、若宮神社の建て替え、金刀比羅社の改築が行われた。
看板より
「国号」筑紫の起源。老樹の間に多くの古塔が散在し、古い社歴を物語る。3月15日に「粥占祭」(市無形民俗文化財)が行われる。
御守お札授け所
御朱印は、こちらの御守お札授け所で いただきました。
ボタンがあるので ボタンを押してください。
御守
御守です。
オリジナル御朱印帳
社殿の図柄の 優しい色のオリジナルの御朱印帳です。
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
「まほろば」
丘や山に囲まれた中央の土地
「古事記」・倭建命(やまとたけるのみこと)の思国歌(くにしのいうた)に次の用例がある
「倭(やまと)は國のまほろば たたなづく 青垣(あおかき)山隠(やまごも)れる 倭しうるはし」
「産土の神」(うぶすなのかみ)
生まれた土地を守護する神の総称。
古代から筑紫の神は、筑紫の国魂として国内鎮護の神である。
看板より
駐車場入り口
駐車場は、参道を横切り 青い→の方に 進んでください。
進と ここに到着します。二の鳥居の横にも 2,3台くらいは停められます。こちらは、境内のすぐ近くです。
神社情報
筑紫神社(ちくしじんじゃ)
福岡県筑紫野市原田2550
御祭神
筑紫の神(つくしのかみ):筑紫の国魂・筑紫の国号起源・氏神様
坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ):武家の神、戦いの神
玉依姫命(たまよりひめのみこと):縁結び・子孫繁栄の神
年中行事
1月1日・2日・3日:歳旦祭
3月15日:粥占祭(春季大祭)
7月19日:およど(夏祭)・夏越の祓
10月20日:例祭(秋季大祭)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 483社目の
御朱印をいただきました。
残り 517社です。
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