九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、 福岡県柳川市坂本町に鎮座する日吉神社(ひよしじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。お正月のおたふくさんで有名で、通常予約御朱印や、特別御朱印、3色のオリジナル御朱印帳がある神社さんです。今日で、571社目です。
鳥居
日吉神社さん、一度 お正月にお詣りして、10分待ってやっと 駐車場に停めてお詣りしたのですが、ものすごい人で お詣りを断念して 再度 お詣りをして御朱印をお受けして来ました。お正月 本当にすごい人で びっくりしたのですが、今回 ほとんど人がいらっしゃらず 落ち着いてお詣りできました。鳥居です。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
由来
柳川地方に古くより「山王さん」の名で親しまれている日吉神社は、伏見天皇の正応三年(1290年)に近江国坂本に鎮座の日吉神社の御分霊を現在地にお祀りしたのが始まりと伝えられ、山王宮又は山王大権現とも呼ばれています。
御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で地主の神として、古来より魔除、厄祓の御神徳あり、万福招来、繁昌、満足を授けると言われています。その後数百年を経て、柳川城主蒲池治久公ー立花宗茂公ー田中吉政公 立花藩代々の城主の信仰厚く柳川城鬼門の守護神として、又郷土の總氏神として、藩民挙って崇敬し奉ったのであります。
社殿は元禄九年立花鑑虎公祈願成就によって再建され、当地方最古の建物と称されております。
その後昭和五十年鎮座七百年を記念し神殿、拝殿の一部を修復しましたが、近年神殿の老化頓に進み、このたび神殿銅板總葺替、諸社の大修復を行いました。
看板より
御守お札授け所
御朱印は こちらでいただけます。通常御朱印、月替わりの御朱印、特別御朱印などがあります。事前に前日の午後4時までに 予約してお受けできる御朱印もあるので 詳細は、facebook で確認してください。
オリジナル御朱印帳
オリジナル御朱印帳です。数種類の御朱印帳がありました。
御守
御守です。
御朱印
御朱印です。月替わりの御朱印もありましたが、通常御朱印のみ お受けしました。写真撮影、 ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
猿様
見ざる聞かざる言わざるの 猿様です。
結いの宝袋
柳川の春の風物詩 「さげもん」のモチーフである宝袋に願いをこめて 飾りましょう
看板より
うさぎ
境内の横に ミニ動物園?があり かわいいウサギさんが いました。
さくら
フラミンゴのさくらさんです。他にも ニワトリ数種類いたりします。
正一位太郎稲荷大明神
総本社、京都伏見稲荷大社、祭神五穀の神、倉稲魂(うかのみたま)の神、神の使霊狐戸次道雪は、稲荷明神の信仰が厚く出陣には、護軍の神として御幣を奉じ毎戦勝利の加護を受けられた。藩租立花宗茂公は、慶長五年九月(1600年)大津城を攻め破り、武勲をたてられたが、関ケ原で西軍は敗れ危険な道を切り抜けはるばる西下された。
暗夜、筑後川の岸神代の広い芦原で道に迷われた時、一条幽光が先導したので浅瀬がわかり無事 柳川城に入られた。宗茂公の正室誾千代姫は、父道雪公の志を受けついで稲荷明神を守り神と信奉された。
姫は、肥後腹赤村で明神が「夫君守護の為、しばらく姫のそばから離れるのだ」と告げられる夢を見て宗茂公は必ず帰国されるを確信された。
果して、宗茂公は二十年振りに奥州棚倉藩主から柳川に帰国された。
入城後、直ちに肥後に居た僧金剛院誉を召し帰国して城濠の中の島に稲荷大明神を勧請しお城の守護神とされた。明治維新になり城跡が民有地となってから多数の信者達により本丸天主跡地に鎮座され一般諸人の信仰も厚かった。昭和二十三年家柳城中学校が創建される時、日吉神社境内の現地に遷座され今日に及んでいる。
看板より
駐車場
鳥居の手前に駐車場は あります。
神社情報
日吉神社(ひよしじんじゃ)
福岡県柳川市坂本町7
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 571社目の
御朱印をいただきました。
残り 429社です。
福岡県の御朱印が拝受できる神社
福岡県の御朱印が拝受できる寺社
福岡ご当地グルメ