長崎御朱印巡りで、長崎県諫早市に鎮座する諫早神社(いさはやじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。たくさんの種類の御朱印、見開きサイズの御朱印帳、限定御朱印がある神社さんです。今日で、718社目です。
鳥居
次に向かったのが 諫早神社さんです。期間限定のたくさんの種類の御朱印が領布されていて ずっと気になっていた神社さんです。
手水舎
手水舎です。
狛犬
歴史がありそうな狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
諫早神社の歴史
縁起書によれば、当宮の創始は
平城京・奈良時代の神亀五年(西暦728年)に、聖武天皇の勅願により
行基菩薩が当地へ赴いて石祠を祀ったのが始まりと伝わる。もとは九州総守護の神々をお祀りする「四面宮」という神仏習合の神社であった。
古来より諫早の氏神様として、歴代領主の祈願所と定められ
西郷家や龍造寺家・諫早家から篤く信仰されてきた。明治時代の神仏判然令により、
並祀していた荘厳寺は分離されることとなり本尊などは近くの寺院に移設。
その際に、社名を四面宮から「諫早神社」と改称した。地元の人々からは、「おしめんさん(お四面さん)」の愛称で親しまれ
当地方の中心社寺として崇敬を受けている。四面宮とは
四面宮は、『古事記』の国生み神話に由来する
九州(筑紫島)総守護の神々をお祀りする神社である。諫早神社だけでなく、島原半島を中心に多く建立されている神社で
雲仙にある四面宮が総本宮であった。諫早領内にも分社として、数多くの四面宮があったが
現在は福田神社、宗方神社、西長田神社、深海神社などの社名に改称されている。四面宮は「筑紫国魂神社」とも呼ばれ、その名の通り
九州一円の守護神として九州各地の大名や有力者から崇敬を受けていた。神仏分離令の影響で、今では四面宮の名称は残っておらず
多くの四面宮はいずれも明治時代に「温泉神社」へ名称を変更、
今現在も島原半島には十数社の温泉神社が鎮座している。『古事記』の一節 ~イザナギ・イザナミの国生み~
【読み下し文】
「次に、筑紫の島を生む、子の島もまた、身一つにして面が四つあり、面ごとに名がある。」荘巌寺とは
明治時代以前は、神仏習合という形で
神社と寺院が共存しているのは全国的に珍しいことではなく
諫早神社(四面宮)も荘巌寺という寺院が同じ境内地に鎮座していた。荘巌寺の正式名は「五智光山荘巌寺」という真言宗のお寺で
世界遺産となっている京都仁和寺の系列である。長い間、四面宮には荘巌寺が併設されて共存していたが
明治の神仏分離令の影響で取り壊され、本尊などは近隣の寺院へ移設された。
社務所
御朱印は こちらの社務所でいただけます。
御守
御守です。
御朱印
御朱印です。
通常御朱印
通常御朱印は 直書きでお受けしました。ありがとうございました。
また、郵送対応もされています。詳しくは オンライン授与所を確認してください。
オリジナル御朱印帳
御朱印帳も たくさんの種類がありました。見開きサイズの御朱印帳もありました。
御神木
御神木です。
雲仙塚(うんぜんづか)
諫早神社(四面宮)の御神体そのものと言える「天下の三山」として知られた「雲仙」の山景を、そのままの形でかたどり、高さ約3メートルの築山で表現。この塚は、すべての石で構成されていて、総重量700トンを超える石で組まれた築山は、唯一無二の造形として鎮座している。使用された庭石は、寄進された石や、雲仙地獄の石、平成新山の石など、人々の願いや大地のエネルギーが込められたものである。
看板より
駐車場
境内の横に 広い駐車場はあります。
神社情報
諫早神社(いさはやじんじゃ)
長崎県諫早市宇都町1-12
御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
年中行事は、ホームページを確認してください。
社務所:9:00 〜 17:00
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 718社目の
御朱印をいただきました。
残り 282社です。
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