長崎御朱印巡りで、長崎県諫早市に鎮座する御館山稲荷神社(みたちやまいなりじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。切り絵御朱印、期間限定の御朱印、クリア御朱印、たくさんの種類のお守りなどがある神社さんです。今日で、719社目です。
手水舎
ナビ(グー〇ル)で到着したのは 拝殿近くの駐車場だったので 鳥居の写真は撮れませんでした。
※ ナビによっては 麓の社務所に案内されるようです。下の住所に設定すれば 到着すると思います。
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
由緒について
「日に一度御館の山に祈るこそ二十の吾の日課にてありき」と郷土の詩人伊東静雄に詠まれた当神社は、県央諫早、宇都の霊場に鎮座する。
御館山は、一千三百余年昔の大宝年間(西暦七〇一~七〇三年)に、行基菩薩が九州巡行の折、五智光山として開基された。平安末期、鎮西八郎為朝が館を築き武術を練ったことから、御館山と呼ばれるようになったと伝えられている。
山頂には元禄五(一六九二)年 五智光山 四面上宮、宝暦元(一七五一)年 豊前英彦山の豊前坊が鎮座されている。また山中には霊塚が多数散在し、稲荷信仰の霊地として「幸恵美山―こうえみさん」と民衆の崇拝で賑わってきた。
寛延三(一七五〇)年、諫早藩主八代・茂行公の代、親藩鍋島家との間に百姓一揆(諫早一揆)が起こり、所領召し上げによって民衆は困窮を極め、各地の神社に返地の祈願が行われた。その折、佐賀綾部八幡の御神託により、京都伏見稲荷を勧請し、上り地返還、諸願成就、領内安泰を祈願するため正林の大乗院に社殿を建立し祭祀された。
その後、明和四(一七六七)年、先に没収となった領地は全部返還されたが、これは稲荷神社の御加護によるものとして、この大神を篤く祀ることとなった。
明治五(一八七二)年、社寺分祀の令により、この稲荷社を御館山に移し、十五代・武春公の代に祭祀された藤の森稲荷神社と合祀した。以来、衣食住の祖神、生産豊饒・商売繁盛・家運長久・家内安全・除災招福・交通安全の守護神として現在に至っている。また御館山稲荷神社の境内には、本殿以外にも『鎮西八郎為朝ゆかりの矢受け石』『四面上宮と船魂明神』『開運の神として知られる豊前坊』『奥殿』『狐の巣穴』など参拝場所が点在しています。
また春には満開の桜や桃、秋には境内から望む中秋の名月など四季折々の風情を感じることができます。
『酒は酒屋で 濃い茶は茶屋で 諫早名物 おこしにうなぎ お参りするなら 御館山稲荷へ』と親しまれた当神社のご利益を戴かれながら御館山が持つの清らかさと力を感じて見てください。
社務所
御朱印は、拝殿近くの社務所でいただけます。この写真の左側に その時いただける御朱印が張り出されているので 確認してから お受けするといいと思います。
御守
色とりどりで 可愛らしいお守りが並んでいました。
春季切り絵御朱印
切り絵の御朱印も 数種類ありました。こちらは 春季限定の御朱印です。
辰年限定切り絵御朱印
辰年限定の切り絵御朱印です。
櫻の限定御朱印と通常御朱印2種類
桜の限定の御朱印(見開きサイズ)と通常御朱印の2種類です。他にも 数種類ありました。
通常御朱印
悩んで 悩んで 通常御朱印(片面)と 龍神様の御朱印を直書きでお受けしました。まずは 通常御朱印(片面)です。シュッとした お狐様が素敵な御朱印です。
龍神様3面御朱印
ずっと、3面の御朱印を お受けしたいと思っていて、迷って迷って 3面の龍神様の御朱印をお受けしました。 O(≧▽≦)O ワーイ♪ 感無量です!
※ 切り絵御朱印、クリア御朱印、春季限定御朱印などなど たくさんの種類の御朱印がありましたが、領布終了していることもあるので インスタグラムなどで 事前に確認してください。
郵送対応もされています。⇒ 授与品のご案内
オリジナル御朱印帳
花柄や、龍神様などの素敵なオリジナル御朱印帳、見開きサイズもありました。
奥殿
奥殿への入口です。
お狐様
お狐様です。
奥殿(おくでん)
古代より神の霊は山や森、樹木や滝、巨石や洞窟等に籠るとされている。当時人々の信仰を集めていた自然の祠に、昭和三年の御大典を記念奉祝し石材で社殿が建立され、奥殿として現在に至っている。
看板より
駐車場
広い駐車場があります。
神社情報
御館山稲荷神社(みたちやまいなりじんじゃ)
長崎県諫早市宇都町61-1・61-3
御祭神
宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
大宮売神(おおみやめのかみ)
授与所:9:00~17:00まで(水曜日定休、臨時のお休みや時短があります)
※正月期間は開閉時間が異なりますのでお問い合わせ下さい
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 719社目の
御朱印をいただきました。
残り 281社です。
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