佐賀御朱印巡りで、佐賀県鹿島市に鎮座する開運厄除大師密厳山誕生院(みつごんざん・たんじょういん)にお詣りをして御首題を拝受して来ました。後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたお寺さんです。今日で87ヶ寺目です。
案内図
境内の案内図です。
手水鉢
桜の花びらで いっぱいでした。
本堂
本堂です。こちらで 御朱印はいただけます。事前に連絡していたので 住職様が待ってくれていました。
本堂の中は こんな感じです。
誕生院沿革
誕生院は真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃滅。以来、鍋島直条公をはじめ、輪海法印、百城律師など相継いで復興に努力されたが成らず、廃墟のまま只「誕生院」の地名と「覚鑁屋敷」の名称が伝えられるのみでした。
大正に入り鍋島直彬公が「一宗の開祖と仰がれ全国にその尊影を奉祠される覚鑁聖人は、我鹿島の立身であり九州立身宗教家として唯一人の大師号保持者である。この上もなき郷土の誇りである。誕生の遺跡を顕彰せねば」との思召で、大正二年漸く復興の大事業を完遂。聖人が御入滅された紀州根来山より錐鑽身代不動明王の御尊霊を御本尊としてお迎えし、弘法、興教両大師の尊像を安置して、金堂、鐘樓堂、書院等竣工、新義真言宗大本山密厳山誕生院として法燈輝き、香煙縷々として絶えることなく今日に至ります。
ご本尊
本尊の錐鑽身代不動明王(きりもみみがわり不動明王)様
興教大師覚鑁聖人の身代わりになって木像でありながら 人間の生血を流されたお方で今なお霊験あらたかにして末世の私たちのために身代わりとなり、大難は小難、小難は滅消へと御利益を導いてくださる大慈悲あふるるお不動さまです。もともとは、和歌山県の高野山にお祀りしてあった尊像を根来寺に移した後、大正時代に誕生院が復興する際に、お招きしたと伝えられています。
手前にいらっしゃるのが 興教大師覚鑁聖人様です。
弘法大使の教理を継がれ、高野山を復興し、新義真言宗を開かれ 学問のほとけとして全国に祀られ仰がれておられるお方です。世に一密成仏、浄土信仰、念仏信仰を残され、世の人々を救うために、諸人に代わって一切の罪を懺悔し、諸人に代わって苦悩を受けるという御誓願は、私たちにとって闇路を照らす大燈明であり、慈父の大愛にまさる大慈悲です。
三十六童子
お不動さまの使者として仕える方々で、各々が様々な功徳を持っておられます。特に病気の時にはこの方々のお名前を呼ぶ事により御利益があると信仰されています。
お守
お守です。
御朱印帳
御朱印帳もありました。
御朱印
御朱印は 通常のものが 4種類ありました。
九州八十八ヶ所霊場御朱印
悩んいると 住職様が こちらを進めてくださいました。九州八十八ヶ所霊場の御朱印です直書きでお受けしました。
肥前七福神霊場御朱印
肥前七福神霊場御朱印もお受けしました。ありがとうございました。
限定御朱印
限定の御朱印もありました。
だるまさん
境内には だるまさまもたくさん いらっしゃいました。
かわいかったです。
駐車場
広い駐車場がありました。
寺社情報
開運厄除大師密厳山誕生院(みつごんざん・たんじょういん)
佐賀県鹿島市納富分2011
ご本尊:錐鑽身代不動明王(きりもみみがわり不動明王)
年中行事:ホームページを確認してください。
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 87ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 913ヶ寺です。
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