九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県飯塚市に鎮座する大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。流鏑馬や、放生池と刻まれた石柱がある 聖なる池があり、優しい色合いのオリジナル御朱印帳がある神社さんです。今日で、365社目です。
鳥居
大分八幡宮さんに 初めてお詣りしたのが、ちょうど1年くらい前の2021年の3月で 子供が引っ越した時でした。数回 お詣りさせていただいたのですが、タイミングが合わず 2022年のお正月にお詣りをして 御朱印を拝受して来ました。
お正月ということで、出店?が並び たくさんの方がお詣りに来ていました。
狛犬
愛らしい狛犬様です。
手水舎
手水舎です。手水鉢がものすごく大きかったです。
総門
宝永4年(1707)、村中の人々が願主となって建立された総門は、切妻造り、銅板葺、朱塗の八脚門。年代のみでなく、通常は寺院にある仁王像が安置されているところも、神仏分離以前の形態をそのまま遺しているもので貴重です。仁王像も、宝永4年(1707)の造像とみられ、こちらも郡中の人々により寄進されたものです。仁王像は筑穂町指定有形文化財です。
社殿
社殿です。大きな門松がありました。
由緒
神亀3年(726)の創建と伝えられる大分八幡宮は、神功皇后の所縁の地で、筥崎宮の元宮とされています。御祭神は応神天皇(八幡大神)、神功皇后、玉依姫命です。
神功皇后は、三韓征伐から帰国した後、粕屋の宇美邑にて応神天皇を御出産遊ばされ、その翌年の春、粕屋と嘉穂の郡境にある大口嶽(大口嶽の乳呑坂)を越えて当地に至ります。神功皇后は、当地にて引率していた軍士を解隊し、それぞれの故郷に返します。その大分から大分と称されるようになったと伝えられています。
御祭神である応神天皇(八幡大神)の神霊は、欽明天皇32年(571)に豊前国宇佐郡に所在する馬城嶽(御許山)に出現したと伝えられ、神亀2年(725)に現在の宇佐神宮の鎮座地である小倉山社へ遷座します。その翌年の神亀3年(726)、御神託により豊前地方と穂波地方、太宰府を行き来する拠点であり、大分の由緒ある当地に鎮西第一といわれる壮麗な社殿、穂浪宮(大分宮)が造営されたのが大分八幡宮の創始とされています。
宇佐宮御託宣集の延喜21年(802)6月1日の件にて『我宇佐宮より穂浪の大分宮は本宮也』と記され、箱崎の松原への遷座の神託があり、3年後の延長元年(923)に遷御したことから筥崎宮の元宮とされています。その遷座の前からの御神体で、神功皇后が腰裳に挟んでいたとされる「くしみ玉」は、大分八幡宮にて奉斎されていたとされています。
『宇佐宮御託宣集』
延喜二十一年六月一日、筥崎神託す。
我が宇佐宮よりは、穂浪大分宮は我の本宮なり。去る二十日辰時を以て、来り着く。今日巳時を以て、爰に来る所なり。其の故は、香椎宮は我が母堂、住吉宮は我が親父なり。我が幼少の当初、志賀嶋を点住して、これに跡づく所なり。夷類を征伐せしむる後、吾出生の時、号を崇めらるべし。我が先の世に、三箇所に居住せしむべき由、所々に有りと雖も、先の世に天下国土を鎮護し始めし時に、戒定恵の筥を納め置く。埋むる所は、彼の父母両所の敷地の中間に、松一本を殖うる、巳に其の璽なり。適生土の上へ、彼の所に居住せしめんと欲ふなりてへり。
私に云く。大分宮は我が本宮とは、欽明天皇の御代、御示現の前、御霊行の時なり。
代々朝廷の御崇敬も篤く、神事祭礼の折には太宰府庄庁の官人が参詣して執り行われ、承平5年(935)の「天慶の乱」の際には、朱雀天皇の勅願により平将門、藤原純友らの追討祈願のため九州に宇佐八幡五所別宮(第二肥前千栗宮・第三肥後藤崎宮・第四薩摩新田宮・第五大隅正八幡宮)が造立されますが、大分八幡宮は、その第一とされました。
中世も朝廷からの崇敬厚く、焼亡を受けての治暦3年(1071)の再建では筥崎宮と同等の規模の本殿であった記録されています。応仁の乱以降、衰微しますが、天正5年(1577)に秋月種実によって再建。この再建の時、現社殿の後方、丘の頂上の嶽宮から現在地に遷座しました。しかし、秋月種実が日向へ移封されたことで神領を失い再び衰微。江戸期に入り、福岡藩の関与と共に鳥居などの寄進も相次ぎ、享保6年(1721)8月15日には途絶えていた放生会も復活。享保8年(1723)には流鏑馬、その翌年の享保9年(1724)には村人が石清水八幡宮で習得してきた獅子舞が奉納され、神事祭事が整えられることとなり、篤く崇敬されています。
社務所
境内にある社務所です。こちらで御朱印は 書いていただけます。普段は 開いていなくて、ガラス越しに書置きの御朱印があり、拝受したいと思っていました。今回 お正月で参拝者も多い中 快く書いていただきました。
オリジナル御朱印帳
小さいサイズのオリジナルの御朱印帳です。紺色と、オレンジ色かな?の優しい色合いの御朱印帳です。
御朱印
社印が 変わった形の社印の御朱印です。
御神木
神功皇后は、三韓征伐から戻るときに三本の樟を持ち帰り、香椎宮・宇美八幡宮・大分八幡宮の三社にそれぞれ植えたと伝えられています。福岡県天然記念物指定を受けている御神木の樟は、その子孫とされています。大陸系の樟で、推定樹齢が約700~800年、胴周り径が約9mです。
大分八幡宮ホームページより
放生池
総門の前に聳える大楠の前には放生池が澄んだ水を湛えて広がっています。秋の放生会では、この池に魚が放たれています。池の辺には「放生池」と刻んだ石柱が、池の中には「殺生禁断」と刻んだ石柱が建てられ、常とは異なる、聖なる池であることを知らせています。
大分八幡宮ホームページより
最初に お詣りした時に撮った写真で 桜の花びら散ってとてもきれいでした。
鴨
桜の花びらの舞う 池に鴨?が いて 近づいて来てくれました。15分ほど、そばにいてくれました。
神社情報
大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)
福岡県飯塚市大分1272
御祭神
応神天皇(八幡大神)(おうじんてんのう)(やはたのおおかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
例祭日
春祭:4月の卯の日
秋祭:9月最終土曜日・日曜日(放生会)
祭典
11月6日19時(大神宮祭・夜神楽祭)
駐車場 あり(境内内か、隣にあります)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 365社目の
御朱印をいただきました。
残り 635社です。
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