九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県大宰府市に鎮座する筑紫戒壇院(かいだんいん)に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。開創1200年遠忌を真応和尚によって行われ庫裏等修改築されたお寺さんです。今日で73ヶ寺目です。
総門
総門は三間一戸の薬医門、切妻造の本瓦葺、脇塀が両側に付いています。天明8年(1788)に左右の錬塀とともに修理したと記録が有ります。
本堂
本堂です。
筑紫戒壇院は天下三戒壇の一つとして、大和の東大寺、下野の薬師寺の戒壇とともに知られています。東大寺に戒壇が設けられ聖武上皇を始め孝謙天皇や貴族等約400人が授戒したのは、鑑真和上が日本へ到着した翌年、天平勝宝6年(754)でした。
筑紫野の戒壇は天平宝字5年(761)聖武上皇勅願によって、観世音寺境内の南西の一角に設置され、九州の僧尼達の登壇授戒の道場として継承されて来ました。しかしながら戒壇創設の頃から、17世紀後半までの歴史はあまり確かではありません。東大寺の戒壇は十師が置かれ、東西の戒壇は五師でした。筑紫戒壇は西戒壇とも言われました。
近世の復興は寛文9年(1669)戒壇院の本尊毘廬舎那仏の修復に始まり、本堂の再建、修改築が行われました。その間に涅槃図の寄附(天和3年1683)、脇仏(文殊菩薩、弥勒菩薩 元禄13年1700)の新造、開山鑑真和上像の造立(宝永2年1705)、又鐘楼と梵鐘(元禄14年1701)が造られ筑紫野に梵鐘の音が響き渡りました。
元禄16年(1703)福岡藩三代藩主黒田光之の藩命によって博多禅宗、四ヶ寺(聖福寺、崇福寺、承天寺、妙楽寺)の管理下に置かれ、観世音寺から独立しました。明治6年(1873)臨済宗妙心寺派、博多 聖福寺の末寺となりました。
明治37年(1904)聖武天皇と鑑真和上の1150年諱法要が戒壇院近世中興東瀛老師(聖福寺128世)によって行われ、大授戒会も行われた。昭和36年(1961)開創1200年遠忌を真応和尚によって行われ庫裏等修改築されました。
平成3年(1991)台風により、本堂、庫裡に甚大な被害を被りましたが、平成6年復興されました。
鬼瓦が素敵でした。
御朱印
御朱印は、本堂に書置きのものがあります。
書置きで いただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
五重塔
戒壇院再建に尽くした 博多の豪商天王寺屋浦了無の供養塔。裏に「単伝了無居士」貞享二年と陰刻(1685)あり。塔身初層にくり穴があり、佛舎利一粒、小版本大乗妙典十巻、国回札、三ツの紙包(文書)が納置されていた。
看板より
地蔵菩薩
この石像は最初、山門に祀つられていましたが山門倒壊後、お堂を作り祀られて今日に至っています。
石の立像で元禄11年(1698)に運照律師によって造られました。
梵鐘
江戸時代元禄14年(1701)に鋳造されました。
福岡の白木玄流が願主となり、博多鋳造師磯野七兵衛正慶が造りました。運照律師の時でした。
県の指定文化財になっています。江戸時代(1600年)以降に造られた梵鐘は第二次世界大戦に供出されて鋳つぶされ、殆ど残っていません。
貴重な文化遺産です。
駐車場
総門の前に 停められます。入口がわかりにくく 2回ほど通り過ぎてしまいました。
寺社情報
筑紫戒壇院(かいだんいん)
福岡県太宰府市観世音寺5丁目7番10号
本尊:盧舎那仏(重要文化財)
本堂拝観時間:9:00~16:00 ※要事前予約(拝観料:500円)
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 73ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 927ヶ寺です。
福岡県の御朱印が拝受できる神社
福岡県の御朱印が拝受できる寺社
福岡ご当地グルメ