九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県宮崎市大字塩路に鎮座する住吉神社(すみよしじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。大阪の住吉大社、福岡の志賀海神社とともに由緒ある住吉三神として名高い神社さんです。今日で237社目です。
鳥居
実は、ずっとお詣りしたいと思っていて 近くまで来るも なかなかタイミングが合わず お詣りできていなかった神社さんの一社です。一度 お正月にお詣りして 人が多かったので 後日写真は 撮って来ました。
手水舎
手水舎です。今は コロさん対策で影響でお水が出ていないところもありますが、こちらは お水があり 清めることができました。すぐ近くには アルコール消毒をするところもありました。
社殿
社殿です。最初 お詣りした時に 社殿が数社あり どこにお詣りすればいいのだろうと 戸惑ってしまいました(;^ω^)
由緒
神代の昔伊弉諾尊は、その妻伊弉冉尊のお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕って塚穴に入られたので日向の橘の小戸の檍原に下られて御身の汚れを清められた。その禊祓の時現れた神々の中に表筒男・中筒男・底筒男の三神がある。
塩路にあるこの三神を祀った住吉神社は全国にある社の根源である。大阪の住吉大社、福岡の志賀海神社とともに由緒ある住吉三神として名高い。寛政六年(1794)編「住吉大明神略御縁起」によれば、六代孝安天皇の命によって宮柱太しく建て申したのだという。
都於郡城主伊東義祐の「飫肥紀行」の中に
急ぎける程に檍原の波間よりあらわれ出でし住吉の里の近くに見え渡り、八重の潮路の松の秋風云々
というのがあり、橘三喜の「一宮巡詣記」に
江田の御社に参りそれより檍が原の住吉に詣でて、尋ね来て聞けば心も住吉の松は檍が原の松原。この海辺に伊弉諾命の身そぎ給う上・中・下の三つの瀬ありと伝えし云々とある。
縁起の中に「御社より二十余町の沖に上つ瀬があるといっている。そしてそこには石の華表があるという。それより南方に中津瀬があり、ここに伊弉諾・伊弉冉の二柱を祀る社がある。それより南に下つ瀬があり小戸大明神の神社がある。」と書かれている。
中つ瀬の社は江田神社であり、下つ瀬の神社は小戸神社で、もと当社は檍村大字吉村の下別府という所にあったが、寛文二年(1662)の地震で海中に没してしまった。縁起の下つ瀬というのは今の吉村の海である。浜山にあるのが住吉神社の大元であり、日向の小戸の檍原というのは当社から大淀河口までの地であるということになる。
こんな感じで 境内社でいいのでしょうか・・・が 並んで鎮座されています。
社務所
社殿に向かう途中に 社務所はあります。
お守り
たくさんのお守りがありました。
御朱印
お正月だったので 書置きのみの拝受でした。お正月じゃなかったら 直書きしてもらえるかもしれません。(確認していないのでわかりませんが)あと、お昼休みの時間があり その時は、対応してもらえないようなので 確認された方がいいと思います。
真砂
たまに こういう砂を持ち帰ることができる神社さんがあります。私は 持ち帰れる時には いただいて持ち帰るのですが、この砂 家の玄関近くや 鉢植えの根元に入れておくと 運気が上がるのです。
真砂
当社は、伊弉諾命が黄泉国の汚穢を清めるため 禊祓の際に海中より御生まれに成った神々を奉鎮した社で、昔より浜下りをして波打ち際の海水でお清めされた砂を持ち帰り、玄関前や家の四角、また、井戸埋めの際、不幸事の後に砂を撒いて家を清める風習があります。どうぞご自由にお持ち帰りください。
看板より
駐車場
広い駐車場があります。
隣に フェニックス自然動物園があり、こちらもいつか 行ってみたいと思っています。冒頭で、大阪の住吉大社、福岡の志賀海神社とともに由緒ある住吉三神として名高い神社さんと紹介していますが、先日、福岡の志賀海神社さんにも お詣りをして御朱印を拝受して来ました。後日 紹介したいと思います。
神社情報
宮崎県宮崎市大字塩路3082
御祭神
表筒男命(うわつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
底筒男命(そこつつおのみこと)
例祭日 2月11日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 237社目の
御朱印をいただきました。
残り 763社目です。
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