九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県北九州市八幡西区に鎮座する岡田宮(おかだぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。洞海・菊竹浜(貞元)に祖先神を奉斎した地主神の神社さんです。今日で、611社目です。
鳥居
街中にあり、駐車場への入口がわかりずらいです。(詳細は、下の方にあります)
鳥居です。
門
大きな門です。
狛犬
狛犬様です。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
御由緒
岡田宮旧跡の碑(熊西)
当宮は古代、崗地方(旧遠賀郡)を治めていた熊族が洞海・菊竹浜(貞元)に祖先神を奉斎した地主神にて、岡田の宮と称し、この地を熊手と号す。
神武天皇日向国より東征の途次、当宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、この地に留まり給う由「古事記」にあり。仲哀天皇8年(199年)、神功皇后、三韓征討の折、崗県主祖・熊鰐の案内で熊手出岬(皇后崎)に到り、当宮に詣り八所神を親祭する由「日本書紀」にあり、これを岡田の三宮と称し「天」「地」「人」の三才を表す。
古来当地は北部九州における海陸路(洞海船留、皇后崎津、太宰府官道)の要に位置し、皇室、公家武門、武将等の崇敬篤く、祭礼法度を定め社領18所、末寺9坊と栄えたり。天慶3年(940年)、藤原純友追討の折、追捕使の主将・小野好古、副将・源経基、戦勝祈願の為に当宮に参詣し、三環鈴を奉納す。此の神鈴今も当宮に伝来す。
建久5年(1194年)、征夷大将軍・源頼朝の御家人・宇都宮上野介重業、平家討伐の功によりて筑前国遠賀・鞍手両郡のうち三千町を賜わり、当宮の祭祀を波多野重満大夫藤原兼直に奉仕せしむ。
永禄2年(1559年)、大友宗麟の兵火に遭い社殿焼亡するも、永禄8年(1565年)、麻生上総介元重、社殿を再興せしむ。此れの棟札今に残れり。慶長10年(1605年)、黒崎城築城の際に筑前六宿の起点となりて現在地に御遷座され、福岡藩祈祷社・黒崎宿の産土神と定めらる。
爾来、藩主はもとより、長崎街道参勤の九州諸大名の崇敬篤く、社殿造営・社参奉幣等多く、又上り下りの文人墨客等数多く参詣せり。
慶応元年(1865年)三条実美卿、大宰府に流謫の途次、従士・土方久元を伴いて当宮へ参詣し、維新回天の大願成就を祈念し和歌一首を奉納す。
御守お札授け所
御朱印は、こちらでいただけます。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
御朱印の種類が すごいんです。これ全て 御朱印です。壁一面の御朱印です。どれくらいの種類があるのか 数えてみました。150種類以上ありました。 ハッ∑(゚ロ゚〃)
他にも、切り絵の御朱印や お誕生日の御朱印もあります。
御朱印
本当にたくさんあって すごく悩んで 選びました。この御朱印は 御朱印帳の最初のページにあった 御朱印です。
今年の干支のこの御朱印をお受けしたくて お受けした御朱印です。この御朱印は、下の御朱印帳に書いてある分しかお受けできなかったので 御朱印帳と一緒にお受けしました。
オリジナル御朱印帳
オリジナルの御朱印帳です。小さいサイズです。他にも 7,8種類のオリジナル御朱印帳がありました。
八咫烏(やたがらす)
八咫烏(やたがらす)
人々の人生を導き照らす、道案内の霊鳥として 古来より御祭神・神武天皇の神使として多くの人々から 尊ばれ崇められて参りました。
この八咫烏像を撫でられ 大神様の大いなる御神徳をお受けください。
看板より
金鵄(きんし)
勝利をもたらす 霊鳥・大願成就の証として 古来より 御祭神・神武天皇の神使として多くの人々から尊ばれ崇められて参りました。
この金鵄像を撫でられ 大神様の大いなる御神徳をお受けください。
看板より
駐車場
入口が わかりずらいです。鳥居を正面に見て 左側に駐車場の入口があります。
詳細は 岡田宮ホームページを確認してください。
神社情報
岡田宮(おかだぐう)
福岡県北九州市八幡西区岡田町一番一号
御祭神
中殿(岡田宮)
神日本磐余彦命[神武天皇](かむやまといわれひこのみこと)
右殿(熊手宮)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
県主熊鰐命(あがたぬしくまわにのみこと)
左殿(八所宮)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
玉留産霊神(たまつめむすびのかみ)
生産霊神(いくむすびのかみ)
足産霊神(たるむすびのかみ)
大宮売神(おおみやのめのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
御膳神(みけつかみ)
社務所受付時間:9:00~17:00
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 611社目の
御朱印をいただきました。
残り 389社です。
福岡県の御朱印が拝受できる神社
福岡県の御朱印が拝受できる寺社
福岡ご当地グルメ