長崎御朱印巡りで、長崎県長崎市に鎮座する玉園稲荷神社(たまぞのいなりじんじゃ)と長崎東照宮(ながさきとうしょうぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。商売、漁業関係の方々など多くの人々から信仰されて神社さんです。今日で、734社目と、735社目です。
鳥居
鎮西大社諏訪神社さんの境内には 他にも数社 お祀りされています。その中で 玉園稲荷神社さんの御朱印も領布されているので お受けして お詣りしました。一の鳥居です。
二の鳥居
階段を上がり 進んで行くと 二の鳥居があります。
お狐様
お狐様です。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
商売、漁業関係の方々など多くの人々から信仰されております。
例大祭日は4月9日で、毎月(十二支)午の日が祭り日です。
社務所
御朱印は、鎮西大社諏訪神社の社務所でいただけます。
御朱印
御朱印です。直書きでお受けしました。ありがとうございました。
厄難除け蛙岩
当神社ご鎮座当時の古図(こず)には、この岩に〆縄(しめなわ)を張り、柵を廻らしてあり、古くから信仰されていたことが判ります。昭和五十七年の長崎大水害の折、裏山が崩れ落ちたが、蛙岩が土砂を防ぎ止め、ご社殿を守ったことで「厄難除け」としての信仰が増し、当社では蛙岩にちなみ、「厄難除け蛙守り」として小さな陶製のお守りを授与しております。
「出したお金もまたかえる」「旅行から無事かえる」との縁起により評判です。
看板より
玉園稲荷の「抱き大楠」
稲荷の神は人が生きていく上で無くてはならない食物の神として、また事業繁栄の神として広く崇敬されています。この大楠は、玉園稲荷神社が創建された頃より この地に自生し、数百年を稲荷の神と共に風雪を刻んでいます。
この玉園稲荷の神と共に生きている大楠を抱くことで稲荷の神の力が授かれるでしょう。手を大きく広げ大楠を抱いて、パワーを授かってください。
看板より
蛭子社
御祭神:少彦名神
祭日:十月十五日
ご祭神の蛭子の神は河川の「水上安全」子どもの「水泳上達」など水に係わる願事成就の神として信仰され、更に「水子守護」の神として尊崇されています。
この池は昔から「川伯(かわはく)の井戸」と呼ばれ、川伯(河童)はこの蛭子の神の使いと言われております。
看板より
鳥居(長崎東照宮)
鎮西大社諏訪神社さんより 車で数分の所に鎮座されています。
境内はこんな感じです。
狛犬(長崎東照宮)
狛犬様です。
社殿(長崎東照宮)
社殿です。
歴史
寛文12年(1672年)正月16日夜半に、山鳴りや地動きがして、安禅寺の堂に日光が満ちて日輪のような形を現したという。翌13年(1673年)、その話を聞いた長崎奉行牛込忠左衛門が寺の上段に徳川将軍家の霊廟として東照宮を建立した。同年1月16日に着工し、同10月16日に竣工した。
この後、東照宮は代々の長崎奉行や士庶の崇敬を受け、幕末に参拝した勝海舟が脇差を奉納した。
東照宮の別当寺僧侶は、長崎の地役人たちと同様の扱いを受け、彼らと同じように受用銀[注釈 2]を配分されていた。
明治元年に安禅寺が廃寺となった後、奉祀する社掌もなく社殿が荒廃したため、一時諏訪神社に合祀された。1897年(明治30年)に社殿が再建され、長崎地方官の高木忠悦が社掌に任じられた。1910年(同43年)、長崎総町集会が開かれ、御宮は東照宮神社として諏訪神社の末社となることが決まった。
御朱印(長崎東照宮)
御朱印です。直書きでお受けしました。ありがとうございました。
鎮西大社諏訪神社さんで いただけます。
駐車場(長崎東照宮)
広い駐車場があります。
神社情報
玉園稲荷神社(たまぞのいなりじんじゃ)
長崎県長崎市上西山町18番15号
長崎東照宮(ながさきとうしょうぐう)
長崎県長崎市上西山町19
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 734社目と、735社目の
御朱印をいただきました。
残り 265社です。
長崎の御朱印が拝受できる神社
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