大分御朱印巡りで、大分県竹田市に鎮座する廣瀬神社(ひろせじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。首相の岡田啓介や地元の黒川健士ほか数百名によって広瀬神社創建奉賛会が結成された神社さんです。今日で、746社目です。
鳥居
一の鳥居です。ナビでは 境内近くの方に案内されたので 一の鳥居の方は行きませんでした。鳥居の近くには、広瀬武夫記念館などもあるみたいです。
二の鳥居
二の鳥居です。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
門
立派な門もあります。
拝殿
拝殿です。
昭和十年に創建された当広瀬神社は、明治三十七、八年の日露戦争で、旅順港閉塞作戦に参加し、部下杉野兵曹長の姿を探し求め、一魂の肉片を残して戦死した元海軍中佐広瀬武夫を祭り、また、当地出身の戦没者一六二七柱を合祀している。
勤皇家の岡藩士の二男に生まれた広瀬武夫は単に勇猛武人であったのみでなく、当時ロシヤ研究家としても一流の人物であり、二千通にのぼる書簡、随想録等は文学的にも高く評価され、講道館に於けるエピソードと共に、人情に厚く高潔な人柄は今なお万人の敬慕を集めている。
看板より
歴史
1904年(明治37年)3月27日に日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬中佐の人格と報国の精神を敬仰して、首相の岡田啓介や地元の黒川健士ほか数百名によって広瀬神社創建奉賛会が結成され、1935年(昭和10年)5月[2]に社殿が落成した。5月25日に鎮座祭が行われ、県社に列せられた。
1948年(昭和23年)7月、大分県直入郡遺族連合会が、郡内の国家公共に尽くして亡くなった人々の霊の広瀬神社への合祀を議決した。1949年(昭和24年)に第1回の合祀が行われた。
社務所
御朱印は 門の手前にある 社務所でいただけます。
御朱印
御朱印です。直書きでお受けしました。ありがとうございました。
戦没者名碑
明治37年(1904年)2月 日露戦争・宣戦布告。旅順港に集結していたロシア艦隊の軍事行動を阻止するために、同港の狭隘な出入口を閉塞する作戦が決定をされた。同年2月24日廣瀬武夫は第1次閉塞作戦で、「報国丸」に乗船出陣し、同船を旅順港灯台下に沈め、帰還する。3月20日第2次閉塞作戦で「福井丸」に乗船し出陣。3月27日任務を完了して撤退時、部下の杉野兵曹長の不明が判り船内捜索を3度行うが発見できず離船中に被弾し戦死する。
この作戦に使用された閉塞船「福井丸」の重しに積まれた石が、日露戦争後、日本海軍によって引き揚げられて廣瀬神社に奉納された。廣瀬神社では、昭和33年(1958年)5月社殿前の戦没者名碑建立の際に、台座にその石8個を嵌め込んだ。
昭和358年(1963年)秋山真之の銅像を建立する際に、廣瀬武夫と秋山真之の友情の証と松山市の関係者から所望されて1個を贈った。その石は、松山市梅津寺公園の秋山真之の銅像の前に据えられている。
看板より
駐車場
駐車場というか、すぐ近くの神社の境内で、こちらに停めさせていただきました。
神社情報
廣瀬神社(ひろせじんじゃ)
大分県竹田市大字竹田2020
主祭神 :広瀬武夫命(ひろせたけおのみこと)
例祭日: 5月27日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 746社目の
御朱印をいただきました。
残り 254社です。
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