岡城天満神社【大分】拝殿の五十四枚の天井絵馬を見て欲しい。

岡城天満神社(大分)御朱印 大分県の神社御朱印

大分御朱印巡りで、大分県竹田市に鎮座する岡城天満神社(おかじょうてんまんじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。祭神は、学問、農業、財産を守る菅原道真公の神社さんです。今日で、745社目です。

 

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鳥居

岡城天満神社(大分)鳥居

岡城本丸には 岡城天満神社さんが鎮座されています。こちらには クリア御朱印があると聞いていて お詣りしたかった神社さんです。鳥居です。

 

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手水舎

岡城天満神社(大分)手水舎

手水舎です。

 

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拝殿

岡城天満神社(大分)拝殿

拝殿です。天井絵馬が素晴らしいのですが、写真が撮れていませんでした。是非 お詣りをしてみて欲しいです。

岡城天満神社

この神社は1593年(文禄二年)中川秀成(ひでしげ)が岡城に入城した時に、城内東側にあった天神祠(ほこら)を移転建立したもので、中川歴代藩主が守り神として崇拝してきた神社で、祭神は学問、農業、財産を守る菅原道真公です。

1871年(明治四年)廃藩に伴い村社となり、大字竹田の人々が氏神を祀る氏子となり、本丸二の丸、三の丸は神社の境内となりました。

最後の城主中川久成が上京後の城址は荒れ果て、樹木雑草が生い茂り石垣は壊れ、つたかずらが繁茂し、狐(きつね)、狸(たぬき)、猪(いのしし)などが出没する、まさに荒城となり、この神社も荒れ果てたので1910年(明治四三年)竹田の城下町に遷座されました。

その間、岡城を訪れる人は狩人か学生位で、「荒城の月」作曲者、瀧廉太郎もその散策を試みた一人と思います。「荒城の月」の名曲が世間に知られるようになると、町民は荒廃を嘆き1932年(昭和七年)公園として桜や紅葉を植栽し美化保存に努めました。1936年(昭和十一年)岡城が国指定史跡となった事等で登城者も増加してきたので1955年(昭和三十年)神社は元の本丸跡に遷座されました。

以来修復を繰り返してきましたが老朽化が進み、もはや現状維持が不可能となったので平成の大改修を行いました。拝殿、申殿の解体修理、神殿回廊の改修、天井絵馬の新規製作、屋根瓦の葺き替えに六ヶ月の歳月を要し2016年(平成二十八年)三月十三日竣工致しました。ご覧いただきたいのは、拝殿の五十四枚の天井絵馬です。中央に中川の家紋、東西南北に神社を守る寅、龍の二神、午、子の干支を、そしてこの地方の花卉を配置しています。大分県内の日本画家女性三名が丹精込めて一年がかりで制作した貴重な文化財です。氏子や市民が奉納いたしました。

岡城は1586年(天正十四年)島津三万の大軍の攻撃を退けた事から、難攻不落の天下の三堅城として栄えた事で、この神社は受験に失敗しない事(落ちない)の験(げん)を担いで多くの人々が参詣しています。

祭は春秋二回行われています。秋の大祭では、近隣の神楽座のうち一座を招き神楽を奉納しています。この時季本丸からの全山紅葉の景観をめでる絶好の機会に出会う事が出来ます。

看板より

 

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お守

岡城天満神社(大分)御守

お守です。

 

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おみくじ

岡城天満神社(大分)おみくじ

おみくじです。

 

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御朱印

岡城天満神社(大分)御朱印

クリア御朱印があります。

 

岡城天満神社(大分)クリア御朱印

御朱印です。クリア御朱印なので プラスティックの薄い板状?の 好きな御朱印です。

季節によって 図柄?が変わる時もあるようです。詳細はXで 確認してください。

岡城天満神社X

 

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御神木

岡城天満神社(大分)御神木

御神木です。本丸に鎮座されているので、見晴らしもよく 心地よい風が吹いて気持ちよかったです。

 

 

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神社情報

岡城天満神社(おかじょうてんまんじんじゃ)

大分県竹田市竹田2912

御祭神:菅原道真公

 

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 745社目の

御朱印をいただきました。

残り 255社です。

 

 

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