佐賀御朱印巡りで、佐賀県唐津市に鎮座する円通山・常安禅寺(じょうあんぜんじ)に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。九州西国霊場 第二十八番札所で、唐津市重要文化財の指定されている誕生釈迦仏があるお寺さんです。今日で81ヶ寺目です。
本堂
本堂です。事前に連絡をして お詣りさせていただきました。
縁起
常安寺に残されている当座過去帳によると、当山はその昔、松浦党の領袖として活躍した波多氏の家臣、今井新右衛門常安が碑田村に建立し、法浦用演大和尚を請じて天正八年(1580)に開いた古刹です。
当時は「貴志山円通寺」と号していました。後の文禄二年(1593)に波多氏の所領は豊臣秀吉に没収され、円通寺も廃寺となります。しかし寛永元年(1624)黒岩村(現在の相知町)にある医王寺十四世涼山玄清大和尚によって「円通山常安寺」として再興され、後に岸山村寺の谷に移り、さらに昭和三十五年には老朽化した本堂の再建に際して現在地の徳須恵に移転、堂々たる本堂は平成二年に落慶し、開創よりの法灯は当山十八世融道宗演大和尚により今も脈々と受け継がれています。
パンフレットより
常安寺より東南に約3キロほど行ったところに岸岳(320メートル)という山があり、その北壁の「笹の手」と称ばれる、切り立った岸壁の下に自然の洞窟「垂玉」があるが、伝えるところでは、和銅6年(713)、弘法大師が留学されていた唐よりの帰途、霊夢により垂玉に導かれ止錫されたのが、常安禅寺のはじまりとされる。
中世には、松浦党の領袖波多氏が、岸岳を居城としてこの辺り一帯を400年にわたり支配したが、その波多氏全盛の天正8年(1580)、稗田の地に、この霊場を継承した「鬼子山円通寺」が用演大和尚により開山されたといわれる。
その後、波多氏の没落とともに寺運も衰退したが、寛永元年(1624)、唐津藩主志摩守広高公が、現在の相知町黒岩の地に、医王山第14世涼山玄清大和尚を招請して中興。明治34年(1901)、炭田開発による地盤沈下による損壊があったが、本尊は小堂宇とともに移転しており難をのがれたと伝わる。
なお、唐津の地名は、唐(朝鮮や中国)に渡る津(港)に由来するとか。
誕生釈迦仏
お釈迦様は、摩耶婦人の脇の下から生まれるや、七歩歩いて天と地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられています。誕生仏はこの釈迦の誕生を祝って4月8日におこなわれる灌仏会(花まつり・常安寺は4月29日(祝日)に御開帳)の本尊です。誕生したお釈迦様を竜王が洗い清めたという故事にならって甘茶を注ぐため、腐食しにくい銅でつくられています。
本像は短い裳を身に着け、左手を上げていて、中国や朝鮮でしばしば見られる姿です。
小さな仏像ですが、顔の造作をはっきりとつくり、胸の肉づきも豊かで、すぐれた造形をみせています。当初の台座を残すことも貴重で、朝鮮半島との活発な交流を窺わせる渡来仏です。
看板より
寺務所
寺務所は 矢印の場所に入口があります。
御朱印
御朱印です。直書きでお受けしました。ありがとうございました。
鐘楼堂
鐘楼堂です。
石仏
入口には たくさんの石仏があります。
駐車場は、境内に停めることができます。
寺社情報
円通山・常安禅寺(じょうあんぜんじ)
佐賀県唐津市北波多徳須恵365番地
御本尊:十一面観世音菩薩
行事
1月18日:初観音祭
3月20日:春季彼岸会
4月29日:花まつり
7月22日・23日:子供坐禅会
8月10日:盂蘭盆大施食会
9月23日:秋季彼岸会
11月第1日曜日:成道会
圓通殿総供養
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 81ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 919ヶ寺です。
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