白髭神社【大分】疱瘡治癒、病気平癒の霊験があらたかです。

白髭神社神社(大分)御朱印 大分県の神社御朱印
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大分御朱印巡りで、大分県中津市大新田に鎮座する白髭神社(しらひげじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。2年に一度の例祭では、大名行列が地域を練り歩く神社さんです。今日で、710社目です。

 

鳥居

白髭神社神社(大分)鳥居

鳥居です。桜が綺麗でした。

 

手水舎

白髭神社神社(大分)手水舎

手水舎です。

 

拝殿

白髭神社神社(大分)拝殿

拝殿です。

由緒

白髭神社(しらひげじんじゃ)は、大分県中津市大新田にある旧郷社。
江戸時代より疱瘡治癒、病気平癒の霊験があらたかで有り疫病流行の際は藩主より命を受け七日七晩の祈祷を行ったとされ、頒布される御札は殊に霊験があらたかだったとされる。

伝承1
中津藩7代藩主で、奥平氏としては初代にあたる奥平昌成(1694年-1746年)は城中に白髭神を奉斎していた。天然痘治療にご利益があるとされていた。
昌成の子が重い天然痘を患い、大変苦しんだため、昌成は白髭神に日夜祈願したが、その甲斐なく、子は病死し、悲しんだ昌成は白髭神を海に流してしまった。
その後、参勤交代で江戸に上る途中、三田尻(山口県)に宿泊した際、昌成は夢に白髭神が海に漂っているをの見、うなされ。「中津付近の世公也地におとどまりください」と叫んだという。
後日、是則の広光憶楽という神官の夢に、大新田の沖より白髭神が呼んでいる姿が現れ、翌日大新田の浜(現、白洲ヶ濱宮)まで行くと、沖までずっと干上がり光輝くものが見えた。
急いで走り寄り、取り上げ白衣でつつみ抱き帰って、大新田の地に奉斎した。これが当社の創建となる。

文献では創建について、奥平氏以前に当地を治めていた小笠原氏の時代(寛永9年(1632年)-享保元年(1716年))とも見られる。

例祭は9月。2年に1度、西暦奇数年に大名行列が行われる。これは、明治の廃藩置県で、旧藩主奥平氏が東京へ移住する際、大名行列用の様々な品物を当社に寄贈したことによる。
16時頃に神事が行われ、その後、大名行列が大新田を東西に練り歩き、21時頃には神社に戻る。子どもから大人まで参加して、無病息災が祈願される。

 

御朱印

白髭神社神社(大分)御朱印

御朱印です。拝殿の裏、本殿の賽銭箱のところに 書置きの御朱印があります。

 

御守お札授け所

白髭神社神社(大分)御守お札授け所

御守お札授け所です。普段は 神主さんは常駐されていません。お正月は開くようです。

 

境内社

白髭神社神社(大分)境内社稲荷社

境内社の稲荷天満社です。

 

御朱印(稲荷社)

白髭神社神社(大分)稲荷社御朱印

稲荷天満社の御朱印です。書置きの御朱印をお受けしました。

 

白髭神社神社(大分)ブランコ

境内には 滑り台や、ブランコなどもありました。

 

御神木

白髭神社神社(大分)御神木

御神木です。

白髭神社facebook

 

 

神社情報

白髭神社(しらひげじんじゃ)

大分県中津市大新田741

御祭神

猿田彦命(さるたひこのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)

少彦名命(すくなひこなのみこと)

境内社

天満宮(てんまんぐう)

稲荷社(いなりしゃ)

駐車場:本殿の裏の方に停める所があります。

 

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 710社目の

御朱印をいただきました。

残り 290社です。

 

 

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