伊勢天照御祖神社(大石神社)【福岡】大石太神宮ともいわれる。

大石神社(福岡)御朱印 福岡県の神社御朱印
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熊本御朱印巡りで、熊本県宇城市に鎮座する伊勢天照御祖神社(大石神社)(いせのあまてらすみおやじんじや:おおいしじんじゃ)に お詣りして 御朱印を拝受して来ました。椋の木や、九千坊河童様がいらっしゃる神社さんです。今日で、765社目です。

 

入口

大石神社(福岡)入口

入口です。

 

鳥居

大石神社(福岡)鳥居

鳥居は 少し入ったところにあります。

 

狛犬

大石神社(福岡)狛犬

狛犬様です。

 

手水舎

大石神社(福岡)手水舎

手水舎です。

 

拝殿

大石神社(福岡)拝殿

拝殿です。

大石太神宮ともいわれ、天照国照彦天火明尊「先代旧事本記」の天孫本記は、この神のまたの名を饒速日命・天火明命などといい、高天原から河内の哮峯に天降ったのち大和の鳥見に遷り、長髄彦の妹を娶って物部氏の祖宇麻志麻治命を生む、と伝える。

「延喜式」神名帳は、筑後国三井郡三座のうちに「伊勢天照国照御祖神社」を記すが、久留米市御井町の高良大社の末社と当社に比定が分かれ、他に「筑後国神名帳」の三潴郡「正六位上大石兵男神」を当てる説もある。

古代の郡界が不明のため本来の所在地は定めがたい。矢野一貞は「諸社拾実鈔」で当社を式内社としているが、その論拠は注目に値する。いわく「社後の土中に許多の〇瓮埋もれたり、掬うべし、千年外の祭器なること疑いなし」。今、大石村と庄島村の界いに小川あり、此わたりにて白鳥川と云い、此源は三井郡国分村より出て、同郡中村を過ぎ西久留米(三潴郡)を分かち、府下三本松町、池町を経て大石と庄島を分かち筑後川に入る。此の川や古の郡界なりけむ。(中略)此地必御井に属すべき地勢なれば此御社こそ式に載れる御祖神社なるべし。神号の均しき、社伝の拠のある、神実の甚古記、祭器の許多残れる、地理の接はれる、相殿の神等の厳重なる由緒ある。彼是似て思い定べし。

現在の神社は市街地になっているが、台地と筑後川の自然堤防の上に、大石神社遺跡・速水遺跡・南崎遺跡など弥生時代中~後期の遺跡がひろがっている。大石町の当社の神体は、本殿土間にある巨石で、支墓の上石あるいは古墳石室の蓋石かと推測されているが、江戸時代の「筑後志」や社伝は、この霊石が年々肥大するという伝承を伝える。また石の大きさは「方九尺」、別に「方三尺」という。この巨石を祀る伝承が神社発祥にひきつがれているとすれば祭祀はより深く、巨石は磐座であるかも知れない。

また、この神社も、社名と祭神から見て物部氏の日神祭祀に関連していたと思われる。例祭は十月二十六日。

夏越祭は七月十四、十五日。

看板より

※ 文中の〇は 漢字も検索できず、読み方もわからず 〇にしました。

 

御朱印入れ

大石神社(福岡)御朱印入れ

賽銭箱の近くに御朱印入れがあります。

 

御朱印

大石神社(福岡)御朱印

御朱印です。2種類ありましたが、こちらの方をお受けしました。ありがとうございました。

 

社務所

大石神社(福岡)社務所

社務所です。

 

椋の木

大石神社(福岡)御神木

わが国の本州、関東地方以西から四国・九州、それに台湾や中国、東南アジアまで分布すています。日当たりの良い丘陵に生え、高さは十五~二十メートルになります。樹皮は灰褐色で、老木になると鱗片状に剥がれます。葉は長楕円形で互生し、先端は尾状に尖ります。四月から五月ごろ、葉の展開と同時に黄緑色の目立たない花を咲かせます。果実は核果で、十月ごろ直径七~十二mmの球形で緑色の果実(核果)をつける。熟すと黒紫色になり食べられる。味は非常に甘く、美味である。

ムクドリなどがよく果実を食べに集まり、種子の散布にも関与している。

樹皮は淡灰褐色で、表面は平滑だが樹齢に伴ってすじや割れ目が生じ、老木では樹皮が剥がれてくる。葉は互生し、長さ四~十センチの卵形又は狭卵形で、緑は先端まで鋸歯状、葉脚はくさび状、三行脈を持つ。葉の質は薄く、表面は細かい剛毛が生え、紙やすりのようにざらついている。

看板より

 

九千坊河童

大石神社(福岡)九千坊河童

「九千坊河童」のふるさとは中央アジアタクラマカソ砂漠を流れるヤルカンド河の源流。約二千年前のこの地方は猛烈な寒気に襲われ、酷寒と食糧不足に耐えかねた一族は、移動することを決意し、中国の東部をめざして出発、まずヤルカンド川を下り楼蘭を通過、敦煌、王門関等を経て、一応青海に落着いたのであるが、ここも依然として食糧不足に見舞われたので、一族は蓮来島(瑞穂の国・日本)に渡ることを決意し、九千坊は部下の九千匹を引連れて黄河を下り。黄海に出て、仁徳天皇の治世の頃に熊本・八代の浜辺に辿り着き、球磨川を安住の地と定め、千余年を平穏におくった。

千六百二十年頃のあるとき、肥後城主加藤清正公は、清正公の小姓が河童に殺された事を理由に河童が最も苦手とする猿の大群を用いて球磨川から追放した。

追放された九千坊一族は、その後久留米の有馬藩主の許しを得て筑後川に移住した。有馬公は寛大にも「今後人畜に悪さをせぬと誓うなら以後、我が領土にて暮らす事を許してつかわす」と「九千坊」に申し渡した。「九千坊」は有馬公に感謝し、以後、水天宮(水の神様)の眷属として領民を水害から守る事を誓ったと言う。

寛永十五年ごろ、江戸の有馬家下屋敷に水神様分霊を祭ることになり、九千坊一族もまた江戸品川に移住し、墨田川に住みついた。しかし九千匹の中には、好色なものや、酒癖の悪いもの、悪戯者当もおったので頭目から破門されたものも数知れず、破門された河童は利根川を始め次第に全国の河川に散らばっていった。正保四年ころ、部下を統率するのには、問題が多いと判断した九千坊は、再び藩主の許しを乞うて古巣、筑後川の帰って来た。

この九州最強の河童と言われる九千坊は、優れたリーダーシップを発揮するとともに子沢山でもあったことだろう。

看板より

 

駐車場

大石神社(福岡)駐車場

裏手の方に 駐車場はあります。道が狭いので気を付けてください。

 

 

神社情報

伊勢天照御祖神社(大石神社)(いせのあまてらすみおやじんじや:おおいしじんじゃ)

福岡県久留米市大石町132

御祭神:天照国照彦天火明尊(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)

例祭日:10月26日

 

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 765社目の

御朱印をいただきました。

残り 235社です。

 

 

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