福岡御城印(御城郭)巡りで福岡県朝倉市秋月にある秋月城跡(あきづきじょうせき)まで行って来ました。秋月氏宅所「杉本城」は、現在の秋月陣屋付近に戦国時代に所在したとされる城跡です。今日で御城印 28体目です。
瓦坂(登城口)
秋月城の正門に至る坂を瓦坂といい、坂には土砂の流れを防ぐため瓦を縦に並べて敷き詰められている。(坂を上って御館正門(大手門、黒門)に至る。)
看板より
正門を入ってすぐのところです。
本丸(推定)
たぶん ここら辺が本丸じゃないかなと思います。
筑前の小京都 秋月
秋月は標高八五九.五mの古処山の麓の町で三方を山で囲まれ、地理的に攻めにくく守りやすい盆地にあります。そんな秋月は中世は秋月氏が十六代四〇〇年、近世は黒田氏が一二代二五〇年と城下町としての歴史は大変古く「筑前の小京都」と呼ばれる現在の町並みは黒田氏によってつくられました。
秋月氏は鎌倉時代に初代種雄が古処山に山城を築いて以来、中世から戦国にわたって秋月を拠点に近隣を統治し、一六代当主種実の時代には筑前・豊前・筑後において三十六万石を領有する一大勢力となりました。しかし一六八七年、豊臣秀吉の九州征伐に敗れ、秀吉の命令で日向財部(宮崎県高鍋町)に移封されてしまいます。
その後は関ケ原の戦いの功績で黒田長政が筑前国に封じられると長政の叔父黒田直之が秋月に入り、秋月氏時代の館である杉本城(現在の秋月中学校周辺)を秋月城として修復し、秋月の街づくりに着手しました。
江戸時代に入った一六二三年、長政の遺言で三男長興が五万石を分与され、秋月城を藩庁とした秋月藩が成立します。この時は福岡藩の支藩としての成立でしたが、その後秋月藩側の働きかけで江戸幕府から直接朱印状が交付され、福岡藩支藩から「秋月藩」として独立しました。その後は幕末に至るまで、秋月藩十二代の城下町として栄えます。明治維新後は秋月の乱など動乱の渦中にありましたが、古き城下町の姿は残り、今に至ります。
現在は、国の重要伝統的建造物保存地区として町宇野ほぼ全体が指定され、春は桜、秋は紅葉が美しく、長い歴史と豊かな自然が調和した県内髄一の観光名所として、多くの人に親しまれています。
私たちは二〇二三年秋月藩成立四〇〇年をきっかけとして、朝倉・秋月の歴史を多くの方に知っていただくために御城印を制作しています。台紙には秋月黒田家治世の江戸時代から続く秋月和紙を使用し、揮毫は初代藩主長興公の母大凉院(栄姫・黒田長政公正室)の菩提寺、大凉寺の住職中村昭様にお願いいたしました。
この御城印を手に秋月の歴史と伝統を感じてください。
秋月鎧揃え保存会
パンフレットより
慰霊塔
奥の方には 慰霊塔があります。
朝倉市秋月博物館
御城印は 近くの秋月博物館で 購入することができます。
秋月藩校 稽古館跡
秋月藩校 稽古館跡だそうです。
御城印(御城郭)
御城印(御城郭)です。
施設情報
秋月城跡(あきづきじょうせき)
朝倉市秋月野鳥
朝倉市秋月博物館
福岡県朝倉市秋月野鳥532
開館時間:午前9時30分から午後4時30分まで(観覧受付は午後4時00分まで)
休館日
毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館し、その翌平日が休館)
年末年始(12月28日から1月4日まで)
※台風接近や大雪等の気象状況により臨時休館する場合がございます。
駐車場:近くにある駐車場に停めました。
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