大分御朱印巡りで、大分県日田市に鎮座する代々木神社(よよぎじんじゃ)にお詣りして御朱印を拝受して来ました。静かな山の中にある 神仏習合の神社さんです。今日で、831社目です。
鳥居
事前に連絡して 初めてお詣りしました。鳥居です。途中 本当にあるのかと 不安になりながら なんとか 到着しました。
鳥居をくぐり すぐにこちらの像がお出迎えしてくれます。
境内は広く 建物がいくつかあるので 戸惑っていると 奥の方から 作業中の方が出て来てくれて 拝殿を教えてくれました。
手水鉢
手水鉢です。
狛犬様がいらっしゃるところに 石像がいらっしゃいました。
拝殿です。
拝殿です。
由緒等 わからなかったので 神仏習合(しんぶつしゅうごう)について 調べてみました。
概要
日本に仏教が到来した当初は「仏教が主、神道が従」であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。日本で「仏、菩薩が仮に神の姿となった」とし、「阿弥陀如来の垂迹を八幡神」「大日如来の垂迹が伊勢大神」とする本地垂迹説が台頭し、鎌倉時代にはその理論化としての両部神道が発生した。一方、神道側からは「神道が主、仏教が従」とする反本地垂迹説が唱えられた。
江戸時代に国学が流行すると、神道が優位と説かれるようになり、神道から仏教的要素を取り除くことが主張された。明治維新後には、「神仏判然令」が出されて神仏分離が行われた。
日本では「神々」の信仰は、もともと土着の素朴な信仰であり、共同体の安寧を祈るものであった。日本の「神」は特定のウジ(氏)やムラ(村)と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった。普遍宗教である仏教の伝来は、日本の従来の「神」観念に大きな影響を与えた。仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。
日本へ仏教が伝来した時から、日本の人々によって「神」と「仏」は同じものとして信仰されていた。その素朴な神仏習合観念は、やがて仏教の仏を本体とする本地垂迹説として理論化されるようになり、さらに戦国時代には天道思想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった。
他方では、日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って「一つの新しい宗教」となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性を保とうとして緊張関係が維持されていた側面もあった。また、近年では神仏習合の時代における神仏隔離現象も注目されており、宮中祭祀や伊勢神宮では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されていて、神仏関係が全て習合の観念で捉えられていたわけではなかった。神仏習合は、仏教が優位に立ちながらも、神祇信仰が仏教に吸収されてしまうものではなく、むしろ神祇信仰が仏教を媒介にして自立的な神道を形成していくものであった。
御朱印は、柱のところにインターホンがあり、拝殿まで来てくださり 書いていただきました。
お守
お守です。
書置き御朱印
書置きの御朱印もありました。
御朱印
作業されている途中でしたが、直書きしていただけるとのことで、直書きでお受けしました。ありがとうございました。(写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきました)
御朱印帳
オリジナルではありませんが、御朱印帳もありました。
鐘
拝殿内に鐘があり 是非 鳴らしてみてくださいと言われ 鳴らしてみました。とても耳心地のよい 鐘の音でした。
鉛筆とお米もいただきました。
滝
すぐ横には 川が流れていて 小さい滝もありました。
石像
境内のあちこちに 托鉢僧の像などがありました。
駐車場
鳥居の横と 鳥居をくぐった所に 数台停めることができます。
神社情報
代々木神社(よよぎじんじゃ)
大分県日田市小山
御祭神:不明
大祭:9月15日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 831社目の
御朱印をいただきました。
残り 169社です。
大分県の御朱印が拝受できる神社

大分県の御朱印が拝受できる寺社

大分ご当地グルメ
