熊本御朱印巡りで、熊本県玉名郡南関町に鎮座する大津山阿蘇神社(おおつやまあそじんじゃ)にお詣りして御朱印を拝受して来ました。家々の発展及び郷土の発展を祈願してきた神社さんです。今日で、885社目です。
鳥居
鳥居です。こちらは 今まで 前を通ってはいたのですが、なかなかタイミングが合わず お詣りできておらず 今回 初めてのお詣りです。
狛犬
狛犬様です。
楼門
立派な楼門が お出迎えしてくれます。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
由緒
大津山おおつやま阿蘇神社あそじんじゃは、阿蘇の神々様の御神徳ごしんとくを得る為に、正治しょうじ元年(1199)一の宮阿蘇神社あそじんじゃより、建磐龍神たけいわたつのかみと阿蘇都媛神たあそつひめのかみの二柱ふたはしらの神様を勧請かんじょうし、お祭りしたのが創建そうけんです。
建磐龍神たけいわたつのかみは、神武天皇じんむてんのうの皇女おうじょである速瓶玉媛命はやみかたまのみことの皇子おうじとして誕生され、神武天皇じんむてんのうの命めいにより阿蘇地方の開発のため下向げこうされたと伝えられています。当時の阿蘇一族の勢力は、熊本県北部の城北じょうほく及び矢部やべ、益城ましき地方まで治める強大な力を持ち、その勢力下のもと、阿蘇の神々を勧請かんじょうしたと考えられています。
当初は、県指定天然記念物に指定されている「大津山おおつやま下しもつ宮みやの椋むく」のある現在の南関なんかん第一小学校の地とされ、現在は「下しもつ宮みや」と称されています。その後、南北朝なんぼくちょう(1336-1392)時代に大津山おおつやま氏が入国して領主りょうしゅとなり、大津山おおつやま城主じょうしゅとして阿蘇の神々を篤あつく崇敬すうけいします。応永おうえい2年(1395)には、3代城主じょうしゅの大津山おおつやま経稜つねかどが「下しもつ宮みや」から現在の関町せきまちの「南の関うから館」付近に遷座せんざ。さらに、5代城主じょうしゅの大津山おおつやま資秋すけあきが、現在地の大津山おおつやま、別名つららが岳に社殿しゃでんを移し、大津山大明神おおつやまだいみょうじんとか、大津山おおつやま阿蘇神社あそじんじゃと称されるようになりました。
現在の社殿しゃでんは大正12年(1923)に改築かいちくされ、現在の社務所しゃむしょは旧拝殿はいでんです。社務所しゃむしょの棟木むねきは加藤清正かとうきよまさの武運長久ぶうんちょうきゅうを祈り、城代じょうだいの加藤直正かとうなおまさの寄進きしんによるものとされます。
阿蘇地方の古事こじに記されているのと同様に「ナマズ」を食べない風習ふうしゅうがあり、身体に通称「ナマズ(皮膚病)」ができれば、境内けいだいの池に「ナマズ」を放ち、祈願きがんすれば全快するとされています。尚なお、雨乞あまごいの神としても崇敬すうけいを集めています。
10月の第3日曜には、400年の歴史を持ち、「筑後国ちくごのくに 対 肥後国ひごのくに」の力士の対戦とされる奉納ほうのう相撲大会が執り行われ五穀豊壌ごこくほうじょう、家内安全が祈願きがんされます。
看板より
大津山阿蘇(あそ)神社は、阿蘇大神様のご神徳を称え、正治元年(1199年)、一の宮阿蘇神社より建磐竜命・阿蘇都媛命の二柱をお招きし、家々の発展及び郷土の発展を祈願してきました。
その後、南北朝時代、応永2年(1395年)に大津山氏が当地方の領主となり入国してきました。大津山城主も阿蘇大神様を大変崇敬し、三代城主大津山経稜は社殿を関町の葉山に改築し朝夕参拝したと伝わっています。しかし、六代城主資秋は、朝夕の参拝に不便なため、現在地大津山の麓に再び社殿を移し、朝夕参拝したといわれています。それより大津山大明神、また、大津山阿蘇神社と呼ばれるようになりました。
お守お札授け所
お守お札授け所です。
お守
お守です。
御朱印
御朱印です。直書きでお受けしました。
駐車場入り口
楼門前を右に上がったら駐車場です。
駐車場
駐車場です。舗装してあるので 停めやすかったです。
神社情報
大津山阿蘇神社(おおつやまあそじんじゃ)
熊本県玉名郡南関町関東958
御祭神
建磐龍神(たけいわたつのかみ)
阿蘇都媛神(たあそつひめのかみ)
例祭日:11月29日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 885社目の
御朱印をいただきました。
残り 115社です。
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