九州御朱印巡り 今回は福岡御朱印巡りで、福岡県福岡市中央区に鎮座する光雲神社(てるもじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。黒田如水、長政両公をお祀りしていて、社殿天井の謡鶴(うたいづる)や、藤の色の素敵なオリジナルの御朱印帳がある神社です。今日で269社目です。
鳥居
実は、お詣りする予定ではなかった 光雲神社さんです。いつものように 他の神社さんへ行く途中、道に迷い気が付いたら 参道の坂道を走っていて 一応駐車場まで行く 思っていたより 人が少なかったので お詣りをすることになった神社さんです。
石造りの鳥居です。もっと手前の大きな通りからの入口にも 鳥居はあります。たぶん 3つ目くらいの鳥居だったと思います。(違ってたらすみません)
狛犬
狛犬様なのですが、なぜか 反対側を向いている狛犬様でした。
拝殿
社殿です。ずっしりと重量感のある社殿です。
創建
孝高、長政両公の法名から1字づつ採り光雲神社と名付けたものであります。
第6代藩主黒田嗣高公の代に現在の福岡市舞鶴城内に創建。明治4年廃藩置県の際、黒田家が東京に移転されるに及んで有志等が第11代藩主長溥公に懇願し、明治4年8月旧社地の小烏吉祥院跡に城内本丸天主台下の祠より奉遷、明治8年には県社に昇格。
明治40年4月1日西公園に新社殿落成し、移転遷座。
昭和20年6月19日戦災を受け、昭和41年10月30日復元、昭和41年2月1日別表加列。
黒田如水、長政 両公をまつる光雲神社
ここ荒津山光雲神社に奉祀する藩祖二公が、慶長5年筑前国主として移封されるや、当時の警固村に舞鶴城を築き、大濠を掘り、那珂川を境として福岡と博多の町づくりを行い、徳川政治300年のあいだ、民意を尊び、産業を奨励し、今日の福岡市興隆のいしずえをなしたことは、全く黒田家藩祖2代の遺訓におうところ実に多大なるものがあり、福岡の名称は両公が名付け親であることも周知のことであります。
明治40年に光雲神社が、ここ西公園に移転遷座以来、福岡市民は両公の功績を偲び、郷土の祖神として崇め親しんでまいりました。
パンフレットより
天井の謡鶴(うたいづる)
光雲神社拝殿の天井に描かれためでたい雄雌の丹頂鶴の画は、舞鶴の地名に因んで、木原、信画伯により描かれたものです。お賽銭をあげて参拝されますと鶴の声がきこえます。その一声に託してあなたの幸運が開けますように。
パンフレットより
社務所
社務所です。こちらで 御朱印は書いていただけます。
お守り
お守りです。
幸運の鈴
人気がある 幸運の鈴です。光雲神社:てるもじんじゃですが、光雲=こううんとも読めることから この鈴のお守りが幸運をもたらすお守りとして 人気があるようです。
オリジナル御朱印帳
光雲神社の黒田家の家紋と 藤色の素敵なオリジナルの御朱印帳です。ガラス越しでしか確認できなかったのですが たぶん大きいサイズの御朱印帳だと思います。右側には 青色?紺色?がありますが、桃色もあったようです。裏は見ていないので 神社名が入っているかは不明です。小さいサイズの御朱印帳です。
御朱印
御朱印です。
母里但馬守太兵衛友信像
黒田二十五旗の1人、智勇兼備の武将で主君長政公の命を受けて福島正則公に使いしたとき、禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大杯の酒を自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。なお、像の下部には全国で親しまれている「黒田節」の歌詞が刻まれています。
パンフレットより
桜がきれいだったので 階段の上から 写真を撮ってみました。
藤棚
拝殿右側を進むと 展望所があり 藤棚がありました。桜が 目の高さにあり とてもきれいでした。
駐車場
拝殿の横に 駐車場はあります。
神社情報
光雲神社(てるもじんじゃ)
福岡県福岡市中央区西公園13−1
御祭神
黒田勘解由次官考高(法名:龍光院殿)
筑前守黒田長政(法名:興雲院殿)
社務所 9:00~17:00
例祭日
春季大祭 4月20日
秋季大祭 10月4日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 269社目の
御朱印をいただきました。
残り 731社目です。
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