岩屋城【福岡】3種類の御城印(御城郭)があります。

岩屋城(福岡)御城印(御城郭)御城印
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九州御朱印巡り 福岡御城印(御城郭)巡りで福岡県太宰府市にある岩屋城(いわやじょう)跡まで行って来ました。島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との壮絶な攻防戦(岩屋城の戦い)で知られる山城です。今日で御城印 19体目です。

 

入口

岩屋城(福岡)入口

御城印(御城郭)は、以前 購入していたのですが、城跡には 行けていなかったので 今回行って来ました。

 

岩屋城(福岡)山道

駐車場がわからず 近くをウロウロして なんとか車を停めて 本丸へ向かいます。途中までは、階段があって 歩きやすいです。

 

本丸

岩屋城(福岡)本丸

本丸(のはず)です。

岩屋城は、四王寺山の中腹に築かれていた山城です。戦国時代の大友宗麟の家臣高橋紹運は、立花道雪らとともに斜陽の大友家を支え、1586(天正14)年、九州制覇を目指す島津氏4万の大軍に対して、岩屋城城主としてわずか700余名で籠城。援軍として豊臣秀吉の軍が九州に上陸するまでの時間を稼ぐため、最後の一兵まで苛烈に戦い抜き、紹運以下家臣全員が玉砕したと伝わります。
本丸跡からは太宰府の街並みを一望できる絶好のビューポイントとなっています。また、道路を挟んで山道を下ると、当時の二の丸付近に紹運の墓があります。

大宰府市ホームページより

歴史

築城は天文年間(1532年 – 1554年)に大友氏の武将・高橋鑑種と伝えられ、立花城と共に大友家の筑前支配の拠点であった。しかし、高橋鑑種は主君・大友宗麟の傲慢な振る舞いに憤り、反旗を翻したために城を逐われ、大友家の宿老吉弘鑑理の二男鎮種が高橋氏の名跡を継いで「高橋鎮種」と名乗り宝満・岩屋の両城主となった。

天正13年(1585年)、立花城主の立花道雪の死去後、長男統虎が道雪の養子として立花城主となり、次男の統増が高橋家の本城である宝満城に入城し、一族三人で大友家の筑前での拠点防衛に就く。

天正14年(1586年)7月13日、筑前一帯を平定し、関白秀吉の九州襲来を阻まんとする島津氏が総勢2万にも及ぶ大軍で攻め寄せ、大宰府政庁跡の東隣にある観世音寺に陣を設けた。紹運(高橋鎮種の出家後の名)は七百余名と共に篭城。2週間の間頑強に抵抗したものの、各出城や砦が次々と陥落、虚空蔵砦を守備する福田民部少輔も討死するに及んだ。また、城主紹運も自ら薙刀を取り敵中に入ったが力尽き、敵陣に矢止めを乞うたのち高櫓の上に登り自害。残された将兵もあとを追い玉砕、天正14年7月27日落城。

紹運が高櫓の扉に書き残したとされる辞世の歌は、「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」

城跡から道を隔てた南西側に高橋紹運の墓がある。

ウィキペディア(Wikipedia)より

 

景色

岩屋城(福岡)景色

城跡からの 景色です。

 

岩屋城(福岡)

 

駐車場

岩屋城(福岡)駐車場

岩屋城跡の近くには 駐車場はありませんでした。少し歩いて 大野城跡の方に停められるスペースがあったので 停めました。

 

岩屋城(福岡)看板

大野城跡も 探してみましたが、わかりませんでした。

 

太宰府館

岩屋城(福岡)太宰府館

太宰府市地域活性化複合施設「太宰府館」で 購入できます。全部で3種類あります。

 

御城印(御城郭)

岩屋城(福岡)通常御城印

通常版 400円、乱世の華 銀版 500円、高橋紹運版 600円の3種類あります。こちらは 通常版です。

 

岩屋城(福岡)高橋紹運版御城印

こちらは、高橋紹運版 600円です。迷って 2種類にしました。太宰府館内の写真撮影は、NGとのことで、撮りませんでした。他は 大丈夫とのことで、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。

 

 

城跡情報

福岡県太宰府市観世音寺704

 

太宰府市地域活性化複合施設「太宰府館」

福岡県太宰府市宰府3-2-3

営業時間 :10:00~18:00

定休日: 水曜日 ※祝日の場合は翌日

 

 

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