金刀比羅宮【福岡】毎年4月10日に大祭をしています。

金刀比羅宮(福岡)御朱印福岡県の神社御朱印
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九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県糸島市志摩久家に鎮座する金刀比羅宮(ことひらぐう)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。文政元年(1818)に、現香月区(久家区の隣)の青木氏が金毘羅宮総本社から勧請したお宮さんです。今日で、338社目です。

 

鳥居

金刀比羅宮(福岡)鳥居

前回紹介した、生松天神社さんの隣に鎮座しています。小さい石造りの鳥居です。

 

手水鉢

金刀比羅宮(福岡)手水鉢

鳥居の横に手水鉢があります。

 

金刀比羅宮(福岡)手水鉢

これも 手水鉢でいいのでしょうか・・・

 

社殿

金刀比羅宮(福岡)社殿

社殿です。

金刀比羅宮:ことひらぐう(金毘羅宮:こんぴらぐう)

当社由来

元は香月の青木正行氏宅の祖先喜右門氏の代文政元年(1818)金毘羅の神号を授けられ小祠を斎祀ってきたが、嘉永三年(1851)大風雨により社辺が損傷し、かかる威徳神を農家の近くに祀ることを畏こみて、氏神(老松社:生松天神社)の社辺に移すことを願い。老松社の相殿に遷御したところ、社家(宮崎氏)の子息の身体に異変が起こり、これは神怒なりとして老松社の南隣に社垣を構えて遷座したところ、子息は元の如く癒ったので、毎月の十日は祭日と定めて奉仕に努めたという。その後祭日は、一月・四月・一〇月と年三回行われていたというが、今は四月一〇日の年一回のみの斎行となっている。

大正・戦前の頃までは、祭日となると多くの露天屋や見世物小屋が出て、村内はもちろん船越・岐志・新町や遠く唐津や呼子からも船で参拝があり、盛大なものであったという。

近年まで祭当日は、氏子各家ごとに多くの客を招待し接待を尽くしていた。香月の青木家からも供え物の奉納がなされていた。

総本社

金刀比羅宮「金刀比羅神社・琴平神社」(旧国幣中社、現別表神社)香川県多度郡琴平町の象頭山:ぞうずさん(琴平山・こんぴら山)東側中腹に鎮座(社伝に大宝元年(七〇一)一〇月の創立という。)

全国に御分社として六八三社を数える。「さぬきのこんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮は、御祭神に大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇(すとくてんのう)を合わせお祀りし、瀬戸内海を望む瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物の指定を受けてた景勝の地である象頭山(琴平山ともいわれる。)の中腹に鎮まっている。

創建の年代は明らかではないが、古来からの伝承によれば、早い時期から大物主神(おおものぬしのかみ)をお祀りして琴平神社(ことひらじんじゃ)と称し、すでに平安時代には幅広い信仰を集めていた。そして平安時代の末期永万元年(一一六五)七月には、保元の乱にあって讃岐国(さぬきくに)に配流されたまま崩御された崇徳天皇の御霊を合わせお祀りした。

奈良時代に始まった神仏習合による本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)(世の人を救うために仏が神に姿を替えてこの世に出現したとする説)の影響を受けて、室町時代には金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称されており、金光院松尾寺の住職を金毘羅別当とする大神域に及ぶ組織が形成されていた。

江戸時代中頃の桃園(ももぞの)天皇の御代、宝暦三年(一七五三)一二月に皇室の勅願所(ちょくがんしょ)となり、同一〇年(一七六〇)五月には日本一社の綸旨(りんじ)(天皇の命令文書)を賜り、明治初年に至るまで毎年春秋に皇室の安泰祈願が行われてきた。

明治元年(一八六八)三月の神仏判然令によって元の琴平神社に改め、同年七月金刀比羅宮と改称すて現在に至る。

御祭神の大物主神は大国主神(おおくにぬしのかみ)の和魂神(にぎみたまのかみ)であり、古来「海の神様」として漁業・航海など海上の安全を守ってくれる神としての信仰のみならず、農業殖産の神、医薬の神、技芸の神としても全国各地の人々から厚い崇敬が寄せられ、特に江戸時代中頃から、海の神様として信仰した船乗りの人々がその神徳を各地に伝えるとともに、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)や、滝沢馬琴(たきざわばきん)の読み物などの影響によって「こんぴら参り」がブームとなるなど、民衆の神様・庶民の神様として、身近な気安さを感じさせる神様である。

このような信仰の現れは、こんぴらに纏わるさまざまな説話や、奉納された数多くの絵馬や宝物類を通じて伺うことが出来る。金刀比羅宮は、皇室を始め平安貴族、戦国の英雄、江戸時代の大名それにも増した庶民の絶対的な信仰を集めて、古今の多くの物語を包んで象頭の山に永遠に鎮まっている。

今日も全国から多くの参拝者が参道の長い階段(七三五段)を上り詰め、大神の前に額ずいて「しあわせさん、こんぴらさん。」と幸せを祈っている。(金刀比羅宮由緒略記)

※金毘羅とは薬師十二神将の一つで宮毘羅大将又は金毘羅童子に当たり、中部インドのマカダ国王都王舎城にあるビフラ山(象頭山)に住み、原語裙ぴーらはサンスクリット語で鰐(わに)を意味し、進化して仏法の中心地王舎城の守護神となった。鰐神は海神竜王とされ祈雨(きう)や海難祈願の神であり、我が国に垂迹して象頭山金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)となった。松尾寺は明治の廃仏毀釈で廃絶したが、金刀比羅宮の隆昌は其の後も変わることなく続いており、今日に至るも漁業や航海従事者及び農業・商工業・医薬・技芸関係者の篤い信仰を集めている。

張り紙より

 

お守り

金刀比羅宮(福岡)お守り

お守りです。

 

御朱印

金刀比羅宮(福岡)御朱印

御朱印です。

 

猿田彦大神

金刀比羅宮(福岡)猿田彦大神

『古事記』によると猿田彦大神は天孫降臨に際し、天孫邇邇芸命を日向国に案内したとされ、導きの神として知られる。このことから「道祖神」にも擬せられ、旅安全の神として、全国いたるところの道筋に祠や石碑が建立されている。戦後は道路改良工事などにより神社境内地に移設されている例が多い。当社も久家地区の道筋から移設したと思われるが、移設前の鎮座場所は不明。なお当社では陰陽石を合わせ祀っているが、糸島では珍しい。

総本社猿田彦神社
・三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
・別表神社
御祭神猿田彦大神さるたひこおおかみ
御神徳みちひらき・方位除け

生松天神社ホームページより

 

金刀比羅宮(福岡)

大牟田市の熊野神社さんと三笠神社さんと同じように 並んで鎮座されています。

左側が生松天神社さんで、右側が金刀比羅宮さんです。

 

金刀比羅宮(福岡)景色

境内からは 海が見えます。

 

神社情報

金刀比羅宮(ことひらぐう)

福岡県糸島市志摩久家2813

御祭神

大物主神(おおものぬしのかみ)

崇徳天皇(すとくてんのう)

御神徳

縁結び、航海安全、大漁豊満、海南避け、五穀豊穣、祈雨、商売繁盛、産業振興、医薬の神、技芸上達

駐車場  隣の公民館に停められます。

例祭日

金毘羅大祭  4月10日

月次祭    毎月10日

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 338社目の

御朱印をいただきました。

残り 662社です。

 

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