福岡御朱印巡りで、福岡県市に北九州市小倉北区に鎮座する篠崎八幡神社(しのざきはちまんじんじゃ)に お詣りして御朱印を拝受して来ました。篠崎八幡神社、蛇の枕石、雲龍殿賀茂宮の3種の御朱印と、オリジナル御朱印帳がある神社さんです。今日で、774社目です。
鳥居
坂の途中にある 大きな鳥居です。
狛犬
狛犬様です。
楼門
楼門です。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
由緒
起源
仲哀天皇9年、神功皇后が三韓を攻め、凱旋して筑前国宇美にて皇子(後の応神天皇)を御出産。
翌年、穴戸(長門)の豊浦宮に向かう途中 鷹尾(高尾)山にさしかかると、皇子は山頂の大石を見るやその上に初めてお立ちになり、長浜や文字ヶ関(門司)から遥かに穴戸の方角を望み、「穴戸は近し」と言われたと伝わります。
敏達天皇12年、勅命によってこの故事に基づき、鷹尾山の麓、朝倉谷において応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祀り、葛城小藤丸をして祭祀に当たらせました。「篠崎神社」の創建です。(鷹尾山は現在地の約1㎞西にあったといわれています)
天平2年(730)宇佐八幡宮より分霊を勧請。「篠崎八幡神社」と改めました。朝廷
貞観12年(870)大中臣国雄が筑紫の宗像宮に勅使として下向の際、篠崎八幡神社にも物品を奉納しました。余談ではありますが、そのときの勅使殿があった所を「皇の使い山」と言うようになり、訛って「コフノス山」が鴻の巣という字名になったといわれています。この頃は七十二度の年中行事があり、本殿拝殿はもとより勅使殿、神饌殿、神楽殿、宮役所、神輿殿、宿直殿、公文所などをそなえ宇佐香椎の大社に押し並び、朝廷においても式内社同様に遇されておりました。
尊崇
平安時代初期の藤原純友の乱に於いて兵火にあい、社殿をことごとく焼失。また、近世に於いては天正年間に大友宗麟により、またも社殿を焼失するという憂き目に罹りました。
しかしながら社殿御造営の棟札より窺い知れるのは、兵火に罹りことごとく灰燼と帰しても、その都度あつい尊崇のもと篠崎八幡神社が再興されたということです。
主なところでは貞和3年(1347)3月の棟札に「将軍尊氏造立奉る」とあり室町幕府の尊崇を受けたと見えます。
また、元和3年(1617)3月の棟札に「篠崎八幡宮本殿一宇建立大願主両豊之領主細川越中守源朝臣忠興」と記されているとのこと。ご神事の再興に加え神宮寺を備え流鏑馬の催し等も盛んに行われました。信仰
本殿の回廊より東北を望めば小倉城。表鳥居の下には紫川が流れ、向かいの東には霧ヶ丘に廣壽山、企救の高浜。遠く望めば文字が関まで見渡し、また、南は貫山を遠く望む。近くは小山うち重なり加茂の神の為に桜の馬場を開く。東ところどころ誠に潤し。
と、豊前國企救郡誌に謳われたのもこの頃のことです。
細川忠興公、小倉城を築いてより府内の官社と崇め給い、なお時代が下り、千束藩主小笠原直方公篠崎に館を築き篠崎公と称す。ともあり、代々の藩主の信仰の厚さが偲ばれるところであります。以来
時は移り今日に至るまで宮司家は59代をかぞえ、「篠崎八幡神社」の境内を荘厳で美しい神域となるよう研鑚を重ねてまいりました。
先人たちの偉業を鑑み、さらに尊崇あつい「篠崎八幡神社」を体現すべくその意志は今も尚、脈々と受け継がれているのです。
社務所
御朱印は こちらの社務所でいただけます。
お守
絵馬とお守です。
篠崎八幡神社御朱印
篠崎八幡神社の御朱印です。直書きでお受けしました。ありがとうございました。
オリジナル御朱印帳
桜の花を散りばめた オリジナル御朱印帳です。3色ありました。
蛇の枕石
蛇の枕石(じゃのまくらいし:夜泣き石)
八雲社の導きにより、荒れ狂っていた大蛇も蛇淵で静かに暮らしていた。やがて年頃となった折、美しい女蛇と出会い恋におちてしまった。ある日、女蛇は貴船神の使いのため、大蛇の元を去った。大蛇は恋しさに、紫川左岸の蛇淵(現在の本町付近)の大石に毎夜現れ、その石を枕にして「女蛇恋し」と泣いた。
哀れに思った八雲社の御祭神が、大蛇を竜神に導き、やがて天に昇って女蛇の元で結ばれることとなった。人々はその大石を「蛇の枕石」「夜泣き石」と呼ぶように成り、このことが遠近に伝わって、「安穏祈願」「恋愛成就」「子供の夜泣き封じ」等として崇敬されている。昭和四十七年本町より、八雲社のお祀りしてある当神社境内に還された。
看板より
蛇の枕石御朱印
蛇の枕石の御朱印です。
雲龍殿賀茂宮
境内にある摂社です。
由緒
明和二年(1765)、小笠原四代藩主忠総公が賀茂別雷命を勧請され、続いて播磨国安志藩から養子に入られた五代藩主忠苗公が、品田和気命、市寸島比売命を相殿に勧請す。九代藩主小笠原忠幹公が文久二年(1862)に篠崎神社大宮司川江直種に命じて別殿を造立、賀茂宮を祭祀された。その時忠幹公が額を奉納した。
看板より
雲龍殿賀茂宮御朱印
雲龍殿賀茂宮の御朱印です。
力石
力石
由緒
神功皇后が三韓から御凱旋の時、筑前の宇美で皇子をご安産され、翌年穴門(長門)の豊浦宮にお向かいになる途中、鷹尾山の山頂(当神社を宮ノ尾山に遷座する前の場所)にあった大石の上に皇子をお立たせし(※この時応神天皇が始めてお立ちになったとも云われている)遥かに菊の長浜や文字が関を望み群臣を顧みて「穴門近し」と宣い往時をお懐かしまれた。
敏達天皇の御代、この故事に基づき鷹尾山の麓に祠を建て、篠崎八幡神社の起源である。
その後仁明天皇の御代、現在の宮ノ尾山に篠崎八幡神社とこの力石が共に御遷座された。
力石は「安産」「子安成長」「立身出世」の御利益が有る霊石として崇敬される。
看板より
駐車場
駐車場は、楼門の前 境内の周りなどにあります。
神社情報
篠崎八幡神社(しのざきはちまんじんじゃ)
福岡県北九州市小倉北区篠崎1丁目7−1
御祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
宗像三女神
玉依比賣命(たまよりひめのみこと)
祭典行事:ホームページを確認してください。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 774社目の
御朱印をいただきました。
残り 226社です。
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