九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県北九州市八幡東区に鎮座する豊山八幡神社(とよやまはちまんじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。3種類の御朱印と、月限定の和紙御朱印がある神社さんです。今日で、615社目です。
鳥居
鳥居です。
狛犬
狛犬様です。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
御由緒
神功皇后、筑前宇美町に於いて応神天皇を御出産され、穂波郡大分村より小倉村に行幸されこの地を治めていた岡県主熊鰐より応神天皇に御衣を献上されました。神功皇后いたくお喜びになられ、三韓を従え給いし御弓矢を山中に納め天下が豊かになる事をお祈りされこの山を豊山(ゆたかやま)と名付けられました。
推古天皇の御代(飛鳥時代)新羅国が任那に侵入した為、大和朝廷より境部雄麻呂、中臣連国を大将軍とし、神功皇后の故事に倣い洞の海より入港し軍団を整えていたが、俄に霊鳩夥しく軍艦に群がりて御神託有り『我は、八幡大神なり。今、宇佐の宮より此の所に跡をたれんと思う。我を祭れば、新羅国は弓を袋に太刀は鞘にいれ朝廷にしたがうであろう。』神告の御教により、帰朝後、八幡大神を前田村巽の森茎船(西本町)に鎮祭し、岡県主彦足を神主として奉仕させる。森茎船とは、貴船田と言われ大きな礎石、布目菊形の古瓦が残っていたと言われています。
光孝天皇の御代(平安時代)大宮司岡県主年麻呂に御神託が有り、現在地に御神体を遷し大宰府官人奉行のもと荘厳なる神殿が建立されました。
荘園制発達期、宇佐神宮寺弥勒寺より京都石清水八幡宮管轄の荘園となり小倉六ケ村(尾倉、前田、大蔵、枝光、鳥旗、中原)の総鎮守として隆盛を極めましたが、戦国時代守護大名大友宗麟耶蘇の宗に帰依し当社神領(四十町三段)を押領されました。
慶長十八年御社造立の棟札には、小倉八幡大菩薩と書かれておりますが、豊前小倉と間違え易い為、黒田藩主の命により江戸時代に入り尾倉と改名されました。
文禄二年枝光村、慶安元年前田村、寛文七年大蔵村へ当社ご分霊を遷し、それぞれの氏神様となりました。
明治二十二年、市町村制実施により尾倉、大蔵、枝光、三村合併の折、三村の氏神様が『八幡神社』の為、八幡村と称しましたが、当社が『やはた』地名の発祥の地と言われる所以であります。
大正十二年、八幡東西区では最初に『村社』から『県社』に昇格され、昭和五年、八幡製鉄所と共に八幡の繁栄した時代に氏子崇敬者の浄財により総檜造りの現社殿が竣工いたしました。
平成五年、ご本殿、末社、手水舎等お屋根替え事業完了。
平成十八年、社務所、神楽殿新築事業完了。
現在は、尾倉、中央地区の氏神(産土神)として護り続けられております。
社務所
御朱印は こちらの社務所でいただけます。
お守り
お守りです。
御朱印
御朱印は、月替わり、夏限定など 数種類ありました。
うさぎ年御朱印
いろいろ迷って 今回は うさぎ年の御朱印をお受けしました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
駐車場
境内の横に 停められます。
筑前御殿神楽
筑前の国・黒田藩の手厚い庇護を受け、かつて明治天皇の大嘗祭に京都御所でも奉奏された筑前御殿神楽は、旧遠賀郡と鞍手郡の神職家に長く伝えられている神楽です。宮中の御神楽と源流が同一神楽と言われ、採り物を持って舞う「里神楽」と神々のお面をつけ神話を語る「面神楽」からなります。
パンフレットより
神社情報
豊山八幡神社(とよやまはちまんじんじゃ)
福岡県北九州市八幡東区春の町4丁目4
御祭神
帶仲津日子命(たらしなかつひこのみこと):仲哀天皇
譽田和気命 (ほんだわけのみこと ):応神天皇
息長帶比賣命 (おきながたらしひめのみこと ):神功皇后
宇遲和紀郎子命(うじわきいらつこのみこと)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 615社目の
御朱印をいただきました。
残り 385社です。
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