九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県福岡市西区に鎮座する鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。桜の花のオリジナル御朱印帳があり、様々なイベントがある神社さんです。今日で、404社目です。
鳥居
大きな通りというか 交差点の近くの筋を入った所にあり、2回ほど 通り過ぎて Uターンしてを繰り返し ナビがだいぶ手前で 終了し、無事に辿り着けるか不安になりながらも、なんとか到着しました。(泣きそうだった)
石造りの鳥居です。
五重塔
鳥居をくぐり 左側に五重塔?がありました。
手水舎
手水舎です。コロナ対策で お水はありませんでした。
狛犬
階段を上がり 門があり(写真を撮ったつもりがなかったです)狛犬様がいらっしゃいます。独特なお姿です。
拝殿
拝殿です。
ご縁起
当鷲尾愛宕神社は愛宕山(旧称鷲尾山)山上に鎮座し、古くは鷲尾神社と称し、社伝によれば、凡そ1900年前、第12代景行天皇の御代に伊弉諾尊、天忍穂耳尊の二柱を鷲尾山に奉祀したことを創始する。
降って第62代村上天皇の天暦9年(956)には、姪浜の住侶浦氏・浜氏が社殿の破損を憂い浄財を募り社殿を改装、さらには領田の寄進も受けた。鷲尾山は地主神として別当坊東林寺が代々奉仕していたが、その後、鎌倉、南北朝、室町と時代が経過し、幾多の戦乱に遭い、宝器・文書・神領は散滅してしまい、僅かに東林寺の社殿を保つのみであった。
その後寛永11年(1634)福岡藩2代藩主黒田忠行公が、山城国(京都)の愛宕権現白雲時(現愛宕神社)より御祭神火産霊神、伊弉冉尊二柱を勧請奉祀し、社領を寄付し、宮司坊圓満寺を開創して奉仕に当たらせた。
愛宕権現勧請に至ったその背景には、当時の黒田藩の内訌(いわゆる黒田騒動)によるところが大きい。
幕府の嫌疑を受けた忠行公が幽居の難に遭った折に、山城国の愛宕権現に祈願したところ、奇しくも間もなく青天白日の身となり、帰藩在城を許された。これにより愛宕の祠を中央に祀り本社とし、鷲尾神社は境内の一隅に移し東林寺と圓満寺ひゃ併合され、また、鷲尾山は愛宕山へとその名を改めた。
明治34年(1901)9月27日官許を得て鷲尾神社・愛宕神社を合祀し、以降鷲尾愛宕神社と称することとなる。社格を大正2年(1913)3月19日村社に定められ、昭和6年(1931)7月15日郷社の列し、さらに昭和34年(1959)には神社本庁指定別表神社に列せられた。
パンフレットより
御守お札授け所
御朱印は こちらで書いていただけます。
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきました。ありがとうございました。
オリジナル御朱印帳
オリジナルの御朱印帳です。写真では 青が強めですが、紺色に近いと思います。小さいサイズで、桜の花と、三日月、社殿、夜景が素敵な御朱印帳です
宇賀神社
宇賀神社さんです。
牛
牛様です。奥に 愛宕神社の応援大使のほおずきんちゃんが いらっしゃいます。
馬
馬様です。
駐車場
写真の右側に鳥居があり、この奥を進むとあります。
駐車場です。
正面の石造りの鳥居の方の入口のすぐ近くにお店があり、寄ってみたいと思ったのですが、人も多く1人では飲食店には 入れないので 次回 誰かと行ってみたいと思いました。
また、御朱印を拝受した時に チロリアンを頂き 今までチロリアンの存在は知っていたのですが、人生初のチロリアン 子供宅で、はんぶんこして 頂きました。予想以上に美味しくて お店に行って来ました。(後日、紹介します)
頂上にあり、見晴らしもよく 夜景も綺麗だろうなと思います。
神社情報
鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)
福岡県福岡市西区愛宕2-7-1
御祭神
「愛宕神社」
火産霊神(ほむすびのかみ)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
「宇賀神社」
宇賀魂神(うがみたまのかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
例祭日:鷲尾愛宕神社ホームページで確認してください。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 404社目の
御朱印をいただきました。
残り 596社です。
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