九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県鹿児島市草牟田に鎮座する鹿児島神社(かごしまじんじゃ)に お詣りして 御朱印を拝受して来ました。水神様をお祀りしているので 龍神様がいらっしゃる神社です。今日で、57社目です。
鳥居
こちらが 鳥居です。こちらの神社 最初にお詣りに来た時、鹿児島県内あちこち 神社巡りをしていたのですけど 全然知らない神社で 国道からだいぶ小道を入ったところにありまして、知人に連れて来てもらったのですけど ものすごく感動したのを覚えています。
手水舎
手水舎です。
写真の雰囲気が違うと思いますが、こちらは 何度もお詣りさせていただいていて、近くに行った時には必ずと言っていいほど お詣りさせていただいています。なので、写真も 気になったら撮らせてもらっているので すごい数の写真があります。(その中から厳選して 紹介しています)
社殿
社殿です。
由緒
鹿児島神社は、鹿児島一円の地主神と伝え、広くまた海の神様であると言われております。遠く神代より、鹿児島と言うこの地の言霊とともに今に来りました、歴史のお社です。国史「日本三代実録」は、清和天皇の貞観二年三月(平安時代)、朝廷が当社の神位を上げられたことを記しています。
御祭神は彦火火出見命、豊玉姫命、そして豊玉彦命。また、かつての当社の神田より今は豊受大神を合祀しております。
当社の別名を宇治瀬神社と申し上げ、土地では「宇治瀬様」を薩摩弁で「ウッテサァ」と呼んで親しまれて参りました。
宇治瀬とは、当社鎮座の故地、錦江湾の神瀬の小島にかかる瀬のいと早く渦巻く様とも、また、以前は当社下を流れていたという甲突川のその早瀬の逆巻く様とも言われております。
古来里ではこの「宇治瀬」を、当社の春祭の二月十八日より、秋祭(ホゼ祭)の十月十八日までの期間は「うじせ」と、それ以降の半年を「うずさ」と言い分けて呼び慣わし、またその二月と十月の祭礼月を俗に「神月」、殊に十八日の祭りを迎えるまでを「柴内」と呼んで、ことごとく忌み慎みました。この「神月」が甲突川の名の起こりだそうです。
けだし、当社の祭礼とともに、あまねくこの里人の暮らしがありました。故習まことに床しく思われます。
御朱印
御朱印です。社印の波?の模様が好きだったりします。社殿を正面に見て 左側に社務所があり、そちらで拝受することができます。何度もお詣りさせていただいているのに、お詣りに行くと 必ず写真を撮り忘れます(-_-;)
今度、お詣りしたら 必ず忘れないように 撮って来ます。
龍柱
私がこの神社で 好きな場所?というか 龍柱なのですが、普通 龍柱といったら 天井まであるくらい大きいのですが こちらの龍柱は 少し小さめのサイズなのです。(≧∀≦*)
最初 お詣りした時には 気づかなくて 何回目か忘れたのですけど、その時にこのかわいらしい 龍柱を発見しました。龍神様が可愛いのではなく 大きさがそこまで大きくないというサイズです。連れて帰りたくなりました。
龍神様は ちょっとわかりずらい場所にあるので 気づきにくいと思われます。
一番上の写真の鳥居をくぐって 3,4段の階段を上り 右側に行った 左側にあります。
駐車場
駐車場ですが、写真の左側の階段が正面のなり その右側の通路を入った所になります。
この看板があるので 目印にするといいのはないかと思います。
御神木
その駐車場の一角に御神木があります。たぶん クスノキだと思われます。
その御神木の所にも 石灯篭があり 龍神様がいらっしゃいます。凛々しい 龍神様です。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
あと、確認はしていないのですが、御朱印帳もあるらしいです。こちらも、またお詣りした時に 確認して来ます。 (≧∀≦)ノ
神社情報
鹿児島神社(かごしまじんじゃ)
鹿児島県鹿児島市草牟田2-58-3
御祭神
天津日高彦火火出見命(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)
豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
豊受大神(トヨウケノオオカミ)
例祭日 2月18日、10月18日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 57社目御朱印をいただきました。
残り 943社です。
鹿児島の御朱印が拝受できる神社
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鹿児島ご当地グルメ
追記
社務所に 御朱印帳と、御朱印帳袋もあります。小さいサイズで、鹿児島神社の名前?は入っていません。グリーンが綺麗で素敵だなと思います。