九州御朱印巡り 鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県日置市東市来町に鎮座する大庭神社( おおにわじんじゃ)(旧:田尻神社)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。大浪池伝説の龍神お浪は 荒兵衛さんの一人娘だったとも言われている 神社さんです。今日で、588社目です。
鳥居
今回も 神主さんと神社巡り(3回目)編の紹介です。鳥居です。
手水鉢
小さめですが、手水鉢だったのではないかと 思われる石です。
社殿
社殿です。
由来
荒兵衛は元伊作村田尻の農民であったが、武芸に秀でていたので、島津忠良公の家臣となった。加世田城攻めや数多くの戦場で抜群の功により、田尻但馬守の称号を与えられた。永禄元年、皆田代大庭三百石の領主として迎えられ、この地をおさめた人物である。伝説霧島大浪池の龍神お浪は 荒兵衛の一人娘だったともいう。神社内には お浪の位牌や龍の彫り物が安置されている。また、神社裏の墓地には、延亨4年に皆田の女人衆や二才達が建立した地蔵菩薩や山伏墓がある
看板より
大浪池伝説
今は、昔、この池のふもとの村に庄屋がありました。村一番の金持ちで、何一つ不足はありませんでしたが、ただ一つこの年になるまで子宝のないのが寂しい限りでした。そこで、年寄った夫婦は相談してお山の神様に願をかけました。まもなく妻はみごもり、やがて美しい女の子を産みました。夫婦は、目の中に入れても痛くないほど、蝶よ花よとかわいがって育てました。そして、その名もやさしくお浪とつけました。お浪は、きりょうも心も清らかに美しく、だれよりも人にかわいがられ、日毎にその美しさを増していきました。村の人々は、女神様の生まれ変わりだとさえ語り合いました。しとやかなお浪の動作は、まるで姫君のようでした。お浪の十八の春が来ました。美しい気立てのやさしいお浪には、あちらからも、こちらからも結婚の申し込みがありました。ところが、肝心のお浪はどうしたことか、結婚の話を両親から聞かされるごとに、ただ寂しくほほえむばかりでした。両親の心遣いを見るにつけ、お浪は泣くよりほかにありませんでした。お浪はとうとう寂しい沈んだ乙女になってしまいました。
お浪はとうとう病気になってしまいました。庄屋夫婦は、狂気のようになって医者よ薬よと騒ぎましたが、効果はありませんでした。お浪の美しかったほおの肉は落ちて見る影もなくやつれていました。そして、ある夜、それは霧島の森林に月がこうこうと照っている夜更けでした。
「山の奥へ行ってみたい」庄屋は、思いとどまるように言い聞かせましたが、お浪はどうしても聞き入れませんでした。しばらくして黒い影が二つ、山を登っていきました。かすかな足音が、極度にもの寂しい林の奥をさまよった後、とうとう池のほとりに来ました。
と、突然お浪の瞳は輝きました。そして父親の手を振り切るが早いか、ザブンとばかり池の中に飛び込みました。あわれ、後にはかすかに小波が残るばかり・・・。青黒い水は何事もなかったかのようにもとの静寂にもどりました。ハッと我に返った庄屋は娘がいないことに気がつきました。庄屋は気が狂いました。「お浪ー。お浪ー。」悲痛な叫び声が林にこだまするのみでした。庄屋は夜が明け、太陽が上がるまで池のほとりを狂い歩きました。そして叫び通しました。でも、お浪は、もう二度とその美しい姿を見せませんでした。お浪は、この池にすむ竜王の化身でした。庄屋夫婦の熱心な願いに感じて、しばらくの間庄屋の娘となっていたのでした。それから、この池を「お浪の池」と呼びました。それがいつのまにか「大浪の池」となってしまったのです。
氏神様
社殿の後ろの方には 氏神様もお祀りされています。
御朱印
御朱印です。神主さんは 常駐されておらず、御朱印は、事前にお詣りをして 社殿の写真を撮り 神主さんに確認してもらい お受けしてください。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
駐車場
鳥居の前に 車を停められるスペースがあります。(2,3台くらい)
神社情報
大庭神社( おおにわじんじゃ)(旧:田尻神社)
鹿児島県日置市東市来町湯田4710−9
御祭神
田尻荒兵衛・荒二郎・荒五郎・お浪・山神
※ 串木野神社の宮司さんが兼務されています。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 588社目の
御朱印をいただきました。
残り 412社です。
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