九州御朱印巡り 熊本御朱印巡りで、熊本県球磨郡あさぎり町に鎮座する白髪神社(しらがじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。人吉球磨方面は 好きな神社仏閣が多く 今回初めてお詣りして来ました。今日で、325社目です。
鳥居
1つ目の鳥居です。ちょっとだけ 鳥居が引っ込んでいるので 油断をすると通り過ぎます。(私は通り過ぎました)
2つ目の朱色がきれいな鳥居です。
手水舎
手水舎です。
手水鉢が大きな岩をくり抜いたきれいな手水鉢で しばらく見とれていました。
狛犬
狛犬様です。
社殿
社殿です。
由緒
御創建
年代古くして不詳なるも棟札によれば建久年間人吉藩初代相良長瀬四男頼村公、白髪岳絶頂の御池祠を再興すとあり、その後暦応元年上村城主六代頼継皆越白髪谷に勧請。更に、上村十代直頼康正二年(西暦1456年)此の地に勧請す。此の時、青井大宮司三十三代頼吉の弟十郎宗清白髪社職となり、代々仕えて今日に至る。上宮白髪岳、中宮皆越白髪神、下宮上村白髪神を白髪三宮と云う。
御神徳
昔より安産慈雨の神として、藩主並に郷民の崇尊殊に深く、人吉十七台相良晴広公は、当社に男子出生を祈願して出生され、片眉毛白かりしと、それ以後は、藩の氏女懐胎の節は青井大宮司を名代として当社に月参せしめ、安産の上は、白銀十二匁奉納の事を恒例と定むと、尚、尚元録十一年三月七日青井大宮司五十一代大神惟董息女安産のお礼として、金大幣を奉納す。又、天保三年八月大干魃あり青井社、雨宮社と共に当社に家老を名代にて、雨乞祈願あり忽にして慈雨に恵まれしと云う。今日、日に日に御神徳弥増。郷民の崇敬弥々篤し。
御社殿
相良二十四代長興公、享保三年本殿、拝殿、御饌舎に至るまで、新に造営。その後、二百十余年を経て、昭和七年より三ヶ年に亘り経費、金約一万五千円を投じ(時の大工賃棟染にて一円)又、用材は無償にて、村より提供を受け神殿、拝殿、透塀大鳥居等悉く、新に造営。屋根は銅板にし、又、境内参道を拡張す。
更に年を経、平成十年より社殿、透塀の屋根銅板葺替、及外便所建築並に白髪岳御池神社の再建を「平成の大改修」として、金約三千九百万円の経費を氏子奉賛により行い、平成十三年十月に竣工す。
御神木
境内のこうようさん及び、こうやまきは、御創建の時、城主の奉植されたものと云伝わっている。
看板より
お守りお札授け所
境内の中にある お守りお札授け所です。こちらで 御朱印は書いていただきました。
御朱印
御朱印です。社印が 小判のように見えるのは 私だけでしょうか・・・(;^ω^)
神社の横にある 神主さんのご自宅へ行き お守りお札授け所で、書いていただきました。
御朱印を書いていただいたあと、少しだけ お話をさせていただき、ブログでの紹介を快諾していただきました。ありがとうございました。
おしらがさんの森
白髪神社は、康正二年(1456)に創建されたと伝えられ、コウヤマキ・コウヨウザンなどの樹は、この頃植えられたものと伝えられています。毎年十一月三日の「白髪神社大祭」には、村民総参加で弓道大会、球磨拳大会などが奉納され、また子供会による相撲大会、子供みこしも奉納されています。
この森は「おしらがさんの森」の呼称で地域住民の憩いの広場として親しまれています。
看板より
駐車場
2つ目の鳥居の手前の左側に駐車場はあります。
この看板があるので この看板を目印にどうぞ。
余談ですが、お詣りをして 神主さんのご自宅へ 行くと 小さなお子さん(3,4歳くらいで、たぶん神主さんのお孫さん)が、私を見て・・・
お子さん「知らない おじさんが来た~」
と言って 家の中へ 走って行きました。
あみだ(心の声)「えっ、おじさん 」 Σ(ºΔº *)
すぐに、入口まで来て 顔だけ ひょこっと出し 私を再度確認して
お子さん 「おばさんだった~」
と、また、家の中へ・・・
今まで、知らないお子さんに お母さんに間違われたことはあったけど、おじさんは 初めてでした。女子力を上げる 神社さんにお詣りしようと 硬く心に近い 白髪神社さんを後にしました。お子さん かわいかったです。(*^-^*)
神社情報
白髪神社(しらがじんじゃ)
熊本県球磨郡あさぎり町上南3025
御祭神
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
彦五瀬命(ひこいつせのみこと)
稲飯命(いないのみこと)
三毛入野命(みけぬまのみこと)
磐余彦命(いわれひこのみこと)
例祭日
例祭11月3日
春祭 4月3日
夏祭土用丑の日
新嘗祭 11月23日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 325社目の
御朱印をいただきました。
残り 675社です。
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