九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県宮崎市佐土原町上田島に鎮座する愛宕神社(あたごじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。高神火の神様をお祀りし、火難を除かるご利益が受け継がれている神社です。今日で、323社目です。
鳥居
今回 6回目のお詣りで やっと拝受できた神社さんです。最初 いつものようにナビで来たのですが、こちらの正面?ではなく 社殿に近い山頂?の方に 案内してくれまして、参道の階段を見て 体力の限界を感じ 断念したのが 数回、こちらの正面には 道がわからず なかなかたどり着けずに 5回目にして やっとたどり着けたのですが、神主さんらしき人が、草刈りをしていて 邪魔してはいけないと思い その時も断念し、6回目の今回、やっと 拝受できました~ 足掛け2年以上 かかりました。(;^ω^)
2つ目の鳥居
1つ目の鳥居をくぐり真っ直ぐに 進むとこの2つ目の石造りの小さめの鳥居があります。
手水舎
手水舎です。コロナ対策で お水は止められていました。
参道
参道の階段です。
ちょうど 真ん中くらいからの景色です。
階段を上った上からの景色です。1つ目の白くて大きな鳥居が小さい・・・ 最初 ここからの景色を見て 下って上がる体力がなく 断念しました。
狛犬
お尻を持ち上げた格好の狛犬様です。
社殿
社殿です。
由緒
往時愛宕大権現と称し、人皇第四十四代元正天皇養老二年(718)正月二十四日奉斎すると伝える。中世愛宕将軍地蔵と呼んで武人の信仰が篤く、また高神火の神として火難を除かせ給うと、ご神徳を受けつがれている。
慶長八年(1603)十月十八日島津以久幕命により、佐土原城の領主となる。愛宕大権現を佐土原藩の祈願七社として、社領十石を献ずる。
第二代島津忠興は、寛永年間に社殿を改修、金燈籠を奉納。その後も領主度々社殿を造営し、藩主の直参或は代参金帛を献げるを例とした。
元禄十三年(1700)三月島津惟久は、祈願成就の石燈籠一基を奉納、今もご社殿の前に現存している。
明治四年廃藩とともに、佐土原村字佐土原町を以て氏子にした。
明治六年五月二十五日県社に列格。特殊神事として「けんかだんじり」がある。
当社の夏祭りの山車、だんじりの呼び名で有名である。祭りは旧暦六月二十三・二十四日(現在は七月二十四日に近い土・日曜)この日の町内は青と赤に二分され、それぞれだんじりを担う若者と囃子太鼓を打つ子供の組が編成される。だんじりは祭り最終日に壊し合う「けんかだんじり」の伝統がある。
明治二年末、佐土原藩の広瀬転城によって士族が町から姿を消し、昔からの町人町は商人主導の街として発展、その手で守り育ててきた氏神祭り、けんかはその意気の高揚、参加は若者が成人になる人生儀礼でもある。
愛宕神社と、十輪寺(じゅうりんじ)
御祭神 火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ) 天之児屋根命(あめのこやねのみこと)
愛宕神社の創建は古く養老2年(西暦718年) 正月24日に丹波の国(京都)桑田郡鎮座愛宕神社の分霊を祀った伝えられています。
愛宕さまは火の神様で、燃えやすい木造家屋に住む私達を火の災から守ってくださる大切な神様です。
夏祭りは神輿が町を巡幸し、勇壮なダンジリの喧嘩は特に有名です。秋の穫り入れに感謝する祭りと火の祭りには神楽が奉納され参拝者も多く今でも町の花です。
仏教は、7世紀に我国に伝来以降、朝廷や幕府の庇護のもとに1100年余りの間隆盛を極めました。
十輪寺は、仏教隆盛時に、僧侶が神社の神官を兼ねて、お祭りする神仏混交又は神仏習合という、神仏一体の姿の真言宗別当寺として愛宕神社に並列して創建されました。
明治初期に始まった廃物運動で神社だけ残り、十輪寺は愛宕神社の長い階段を登ったすぐ右側の林の中に寺跡が残っています。
看板より
愛宕神社前之宮
参道の階段の手前にある 愛宕神社前之宮です。上の社殿まで行けない時には こちらからお詣りをします。
お守りお札授け所
愛宕神社前之宮の横にある お守りお札授け所です。
御朱印
御朱印です。社印の愛の書体が難しくて 読めませんでした。
私のように 某ナビで正面に行けない方もいらっしゃるのではないかと思い ちょっとだけ正面に行く道のりです。219号線から 愛宕神社を左側に見て 上田島の交差点を左に曲がり、三叉路みたいなところに出るので そこを直進したら 左側に白く大きな1つ目の鳥居が見えてくると思います。
神社情報
愛宕神社(あたごじんじゃ)
宮崎県宮崎市佐土原町上田島789
御祭神
火之加具土神(ほのかぐつちのかみ)
天之児屋根命(あめのこやねのみこと)
例祭日 11月24日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 323社目の
御朱印をいただきました。
残り 677社です。
宮崎県の御朱印が拝受できる神社
宮崎県の御朱印が拝受できる寺社
宮崎ご当地グルメ