九州御朱印巡り 宮崎御城印巡りで宮崎県東諸県郡綾町にある綾城(あやじょう)まで行って来ました。綾国際クラフトの城にあり、再現された日本最古の山城と言われ、やっと、ご縁を結ぶことができたお城です。今日で御城印 9体目です。
料金所
料金所です。入場料を支払い 入城(場)します。実は 4度目で やっと御城印を手にすることができた場所です。もっと言うと 10年ほど前に一度 友達と来ていて 当時は、御朱印や、御城印は集めていなかったし(御城印もなかった)ただ、見に来ただけでした。
御朱印を集めるようになって 1年の間に3回ほど 来たのですが、まさかの道に迷ったり、コロナでお休みだったり、とどめは 謎の前の愛車のエンジンの不具合で エンジンを切ることができず、エンジンをかけたままにはできず、泣く泣く断念していて 今回4度目にして やっと来ることができました。
駐車場に到着して 恐る恐るエンジンを止め 車から降りた時には やっと来れたと 駐車場で座りこみ 感動していました(近くに人が居なかったので 変な目で見られることはなかった)
今をさかのぼること約680年前の山城として、日本城郭協会の時代考証に基づいて再現されたものです。すべて木造で城館内は資料館になっており、町の歴史を振り返ることができるとともに、中世に生きた武士の姿をしのぶことができます。
刀工田中國廣
新刀の開祖と言われる田中國廣は、綾町古屋に生まれ、幼いころから父旅泊の元で鍛刀に励み、天正14年(1586)に打った刀は、日州古屋住國廣作として国の重要文化財に指定されている。また、國廣は文武両道に秀れ、伊東氏が没落して豊後へ落ちる際、伊東マンショ(満千代)の侍臣としての功績も残している。
看板より
中門
中門です。
工芸館
中門をくぐり 右側にある工芸館で 御城印は購入できます。写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきました。ありがとうございました。
御城印(城郭符)
2種類あります。
綾城と書かれたものと。
綾龍尾城と書かれたものの 2種類です。
工芸館の中です。絹織物、木工品、陶器、竹細工など いろいろ素敵なものが並んでいました。
鎧
よろい、かぶともあり、300円で着られるようです。
綾城(龍尾城)
綾城です。
綾城の歴史
綾城のはじまりは、今からおよそ680年前の元弘年間(1331~1334)足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門がこの地方に下向を命ぜられ、その子義達は収納使として綾を領有し、綾に居館(山城)構え、綾氏と称したころと考えられる。
綾氏は数代城主としてこの地方を治めていたが、室町時代八代将軍義政のころ都於郡城を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となった。したがって綾城も伊東氏48城の一つとなり、山東(伊東方)の拠点として重要な役割を果たした。
天正5年(1577)伊東氏が島津氏に敗れ、本拠である都於郡城をすてて豊後(大分)に落ちてより、島津氏の支配下となった。
元和元年(1615)江戸幕府の一国一城制度により、綾城は廃止となり島津氏の地頭が置かれた。
この綾城構築については、日本城郭協会に中世山城の築城について考察を依頼し、数次の調査に基づいた考察により想定されたもので、昭和60年春日本ではじめての戦国初期城楼建造物を構築した。
なお、城館内は歴史資料館として綾の歴史の歩みをふりかえるとともに、温故知新さらに明日への飛躍、発展の礎とするものである。
パンフレットより
スタンプ
スタンプは、入場券に押すところがあり、綾城の入口にあります。
綾城の天守閣に上がるこの階段まで来て 以前来ていたことを思い出しました。当時はそこまでお城に興味はなく友達に連れられて見に来たという感じでした。ここの階段すごく狭くて なぜか記憶に鮮明に覚えていました。
天守閣からの眺めです。とてもいい天気だったので、見晴らしもよく気持ちよかったです。
駐車場
駐車場です。前回 ここまで来て エンジンが止められず、悔しい思いをしました。故障かと思いましたが、それ以降 謎のエンジントラブルはありませんでした。たまにこういうことがあります。そういう時は タイミングが合わないということだと思って 先には進まないようにしています。(こういう時、よくないことがあったりしたりもするので・・・)
施設情報
綾国際クラフトの城
宮崎県東諸県郡綾町大字北俣1012
営業時間
9:00~17:00(4月~9月は17:30まで)
休業日
毎週木曜日
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