大圓山龍仙寺【宮崎】本尊は鎌持ち大黒天様です。

龍仙寺(宮崎)御朱印宮崎県の寺社御朱印
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九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県延岡市に鎮座する大圓山龍仙寺(だいえんざん・りゅうせんじ)に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。癌封じ観音大祭があり、日向国延岡七福神めぐりの大黒天様のお寺さんです。今日で67ヶ寺目です。

 

入口

龍仙寺(宮崎)入口

日向国延岡七福神めぐりの大黒天様がいらっしゃる 龍仙寺へ向かいました。実は数年前に 一度駐車場まで 来て引き返したことがあったお寺さんです。今回 天福寺の奥様に癌封じの大祭があると聞いていたので お詣りしやすいかなと思って 勇気を振り絞りお詣りしました。

 

手水鉢

龍仙寺(宮崎)手水鉢

手水鉢です。

 

本堂

龍仙寺(宮崎)本堂

本堂です。

龍仙寺縁起

当山は文禄年間、大和の国より谷山覚右衛門が一子十衛門を伴い県の豪族土持氏の兵法指南役に招かれ、土持氏存亡の後、元和二年大貫の山麓、圓山の地に文武修験道場「明實院」を開山し本尊に鎌持大黒天・茶枳尼天・稲荷大明神を安置す。

川辺・大貫の地を知行地とし歴代藩主に仕えていたが、天保十年時の藩主内藤家に禄を返上し、この地西階城東の砦跡に明實院を移転し藩主祈願所として加持祈祷に専念す。当時は数多くの支坊を持ち、御用回状によると現在の熊本の湯前・蘇陽・菊池・高千穂・見立・小林・国富などが読み取れる。

難解な修験文字で判読難しく、院外不出にて徒弟にのみ受け継がれるその古文書も元治の火災で焼失し、僅かに残った書き物を受け継いだ口伝より書記す。明治の年号になり廃仏毀釈という政令発布修験道廃止の憂き目にあうも、明實院十七世谷山明實の代に、御寺は滅してはならずと明治十三年、岡山県津山椿高下の名刹龍仙寺となり寛文年間に造立された十一面観世音菩薩を本尊に祀り、脇持に不動明王・弘法大師を安置す。

鎮守社に明實院本尊鎌持大黒天・茶枳尼天を祀る。また、時を同じくして西南戦争の折、延岡の地に宿陣を置いた西郷隆盛氏が当山を訪れ明實師と茶を酌み交わした史実が残る。大正九年には、民俗学者である柳田國男氏が訪れその著書「海南小記」の中「ひじりの家」にて十七世住職の山伏としての生涯が記されている。

看板より

 

癌封じ観音大祭

龍仙寺(宮崎)癌封じ観音大祭

年に一度ある 癌封じ観音大祭でした。

 

納経所

龍仙寺(宮崎)納経所

御朱印はこちらで いただけます。

 

御朱印

大圓山龍仙寺(宮崎)御朱印

御朱印です。直書きで書いていただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。お接待で お菓子と奥様手作りの 筍の土佐煮をいただきました。(おかわりしたくなりるくらい土佐煮すごく美味しかった)

 

龍仙寺(宮崎)御朱印

日向国延岡七福神めぐりの大黒様の御朱印です。

 

水子地蔵

龍仙寺(宮崎)

水子地蔵様です。

 

稲荷社

龍仙寺(宮崎)境内社

境内社の稲荷社です。

 

駐車場

龍仙寺(宮崎)駐車場

駐車場は、入口の近くにも 数台停められます。下の方が広く停めやすいと思います。

 

当山は、今から約400年前、大和国より訪れた谷山覚衛門により、修験の道場として開かれました本尊に鎌持ち大黒天(右手に鎌を持つ)、荼吉尼天を安置し、農家の方の篤い信仰を受け、また藩主の祈願所として加持祈祷に専念したものと聞いております。 現在でも修験の教えは着々と受け継がれ法螺貝の心地よい音色が、森林に響き渡っております。

九州八十八ヶ所百八霊場ホームページより

 

 

寺社情報

大圓山龍仙寺(だいえんざん・りゅうせんじ)

宮崎県延岡市 西階町1丁目4211

ご本尊:十一面観音立像

 

 

1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。

正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。

今日で 67ヶ寺目の御朱印をいただきました。

残り 933ヶ寺です。

 

 

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