佐賀御朱印巡りで、佐賀県鹿島市に鎮座する金剛勝山蓮厳院(こんごうしょうざん・れんごんいん)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。ご本尊阿弥陀如来2体と薬師如来1体は国の重要文化財で全国でも数少ない定朝様式の仏様として知られているお寺さんです。今日で88ヶ寺目です。
入口
お寺さんは 未だになぜか敷居が高くなかなかお詣りできていないのですが、この日 密厳山誕生院さんにお詣りをして 住職様に是非 お詣りされてみてはと 言っていただき お詣りさせていただきました。 密厳山誕生院さんから 車で数分のところに鎮座されています。
手水鉢
手水鉢です。
本堂
本堂です。事前に連絡をしていたので 奥様に対応していただきました。
平安時代、鹿島・藤津地方の大部分は京都仁和寺(にんなじ:真言宗御室派)の荘園(藤津荘)となりました。仁和寺は、藤津荘の役所を兼ねてこの地に寺院を整備し、僧侶や役人を派遣することで寺領を管理しました。蓮厳院もこのような背景で建てられた寺院の一つであったと考えられています。
その後、平安時代末期の後白河天皇(1153~1158)の時代頃に全国に一国一伽藍が命じられ、肥前国の勅願の道場として、当地二金剛勝院という大規模な寺院が建立されたと伝えられます。金剛勝院の正確な位置は分かっていませんが、蓮厳院を中心とする場所にあったと推定されています。
やがて、金剛勝院は戦国時代の兵火により焼失してしまったと伝えられますが、古記録では「仏殿を造り、講堂、鐘楼、大門、中門みな備わる、大門の外に道をはさんで12の子院あり。」とあります。また、この一帯には院の馬場、坊中道、不動、金剛、伽藍、堂の上、学頭、浄願、八代竜王などの地名が今も残っており、往時の盛況さと寺院規模の壮大さを偲ぶことができます。
蓮厳院には、阿弥陀如来坐像2体、薬師如来坐像1体の計3体の仏像が残されており、国の重要文化財となっています。平安時代末期の作で、九州には他に類のない定朝様式の本格的な仏像であり、12世紀頃にこの地に花開いた一大仏教文化の証です。
看板より
本堂内
祐徳稲荷神社の膝元。平安時代から続く古刹で、本堂と庫裡は藁葺き屋根。庫裡は県内では少なくなったクド造りとなっています。 一見寺とは思えないたたずまいです。 ご本尊阿弥陀如来2体と薬師如来1体は国の重要文化財で全国でも数少ない定朝様式の仏様として知られています。 平安時代から今日まで、人々は手を合わせ諸願成就と、ご先祖様の菩提を祈る寺でございます。
お寺のイメージ
又、当山奥之院岩屋山興法寺は真儀真言宗の祖、覚鑁上人(興教大師)幼少の折の修行聖地であり、当山は上人13歳で仏門に入る時本山二利寺寛助大僧正の弟子になられた勝縁の寺としても知られています。 平安仏に手を合わせ、心身の平安をお祈り下さい。お参りをお待ちしております。
庫裡
庫裡です。
御朱印
住職様が 不在で書置きのものでよかったらということで お受けしました。
阿弥陀如来様と薬師如来様
9世紀末に創建された真言宗御室派の寺院です。戦国の兵火によって建物は一度消失しましたが、阿弥陀如来2体と薬師如来1体が残されており、全国でも数少ない定朝様式の仏像で、国の重要文化財となっています。平安時代末期の作で、12世紀頃にこの地に花開いた一大仏教文化の証です。地元出身の画家で雪舟の後継者「雲谷等顔」(うんこくとうがん1547~1618年)を紹介する石碑があります。
薬師如来様
奥様が わざわざ鹿児島から来たからと言って 特別に国の重要文化財となっている阿弥陀如来2体と薬師如来1体を 見せていただきました。素晴らしかったです。ありがとうございました。
駐車場
境内のすぐ横に 停められます。
寺社情報
金剛勝山蓮厳院(こんごうしょうざん・れんごんいん)
佐賀県鹿島市山浦甲1476
ご本尊:阿弥陀如来座像
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 88ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 912ヶ寺です。
佐賀県の御朱印が拝受できる神社
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