九州御朱印巡り 熊本御朱印巡りで、熊本県八代市日奈久上西町に鎮座する温泉神社(おんせんじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。市杵島姫命を御祭神とする弁天社を建立したのが始まりと伝えられている神社さんです。今日で、605社目です。
参道
鳥居はあるのですが、階段の下の方で 鳥居近くには人が多く 写真は撮れませんでした。途中の参道の階段です。
階段の一番上からの 眺めです。結構高いところに鎮座されています。
狛犬
狛犬様です。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
温泉神社由緒
温泉神社は応永十六年(1409、この地に住む浜田六郎左衛門(はまだろくろうざえもん)が父の浜田右近(はまだうこん)の刀傷が治りますようにと安芸(広島県)の厳島神社の市杵島姫命に祈願したところ、神夢(じんむ)にてお告げがあり六郎左衛門が温泉を発見し、父を入浴させたところ刀傷も治った。温泉発見によって日奈久に人々が移り住むようになり温泉街となった。当時の人達はこの御神徳に感謝し 十年後、現在の温泉センター近くに市杵島姫命を御祭神とする弁天社を建立したが天明四年(1784)、温泉街にて大火災が発生し、弁天社も類焼したので仮宮を造り奉祀して、文政五年(1822)十月十五日、現在地に社殿を築き御遷座となった。御鎮座以来、弁天社と称してきたが、明治初期の神仏分離の時、湯の神社と称し 数年後、温泉神社と変更し現在に至っている。
看板より
日奈久の祖神・守り神の「温泉神社」
温泉発掘の神慮を与えて下さった神様を祀る
孝子・六郎が祈り続けた市杵島姫神のお告げで温泉が発見され、刀傷が治った——その話は近在にまで広がり日奈久の温泉に湯治の客が日増しに多くなり、日奈久のまちに人が集まってくるようになります。
「神様をお祀りしよう」と、村人は市杵島姫を祀る祠(弁天社)を建立します。まだ質素なものでした。後に類焼したり、兵火にあったり幾度か変遷の後に現在地に社殿が新しく設けられました。下欄のように多くの災難はありましたが、温泉の神様は日奈久の人に崇められ護られ続けて現在にいたります。後に六郎を祀る六郎神社も同じ境内に移ります。
ゆっくり143段の石段を登ると「文化」「文政」と彫られた奉納の石灯籠が目をひきます。本殿に残る彫刻も江戸期の優れた作品です。見晴し抜群。すぐ下は本湯の温泉センター、六郎温泉発見の場所です。昔は、そこまで海が迫っていました。
町並みが海の方へ広がり、堤防、港、港の上は自動車道の架橋‥‥海の向うに天草の島‥‥、日奈久の町の発展の足跡がよく分かります。かつてはこの境内は「不知火見物」の場所として有名でした。
日奈久温泉が熊本県下で(文書に残る)最も古いということが実感できます。
六郎の墓は神社登り口右側に。
御朱印
御朱印です。八代神社(妙見宮)で、直書きでいただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
書置き御朱印
書置きの御朱印もありました。
六郎神社(境内社)
境内社の六郎神社です。
日奈久温泉の発見者の浜田六郎左衛門と父親の浜田右近の功績を称え、父子が亡くなった後、市杵島姫命を御祭神とする弁天社の随身像として祀られてきましたが、明治十一年十二月、現在の場所に神殿・拝殿を築き遷座し、昭和十年七月、改築されました。
看板より
稲荷大明神(境内社)
稲荷大明神です。
御神木
御神木です。
ケヤキ
樹高:13.5メートル
幹回り:2.9メートル
八代市の奥座敷”日奈久温泉”は肥後藩の藩営温泉として、古くから多くの人々に親しまれています。この日奈久温泉神社にあるケヤキは、文政5年(1822年)に新しく社殿を建立された時植えられたもので、樹齢170年、今では神木として祀られています。温和な八代海、由緒ある日奈久温泉の四季をこれからも見守り続けていくことでしょう。
看板より
駐車場
2,3台くらいは 停められそうな駐車場はあります。途中 道が狭いところがあるので気を付けてください。
神社情報
温泉神社(おんせんじんじゃ)
熊本県八代市日奈久上西町401
御祭神:市杵島姫(いちきしまひめ)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 605社目の
御朱印をいただきました。
残り 395社です。
熊本県の御朱印が拝受できる神社
熊本県の御朱印が拝受できる寺社
熊本ご当地グルメ