九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県児湯郡西米良村に鎮座する兒原稲荷神社(児原)(こばるいなりじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。商売繁盛・五穀豊穣・海上安全大漁・家内安全などの御利益がある神社さんです。今日で、606社目です。
鳥居
鳥居です。
ナビの言うとおりに行くと 迷うことなく到着できると思います。
お狐様
稲荷神社なので お狐様がいらっしゃいます。
参道
参道の階段付近には 竹が自生しており 独特の雰囲気がありました。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
由緒
一ツ瀬川と小川川との合流域に位置する。昭和三十八年一ツ瀬ダムが完成し、当地はダム湖の湖畔となった。
当社は初めに木花咲耶姫命、彦火火出見命、大山祇命を奉斎した神社であったが、下って天正五年(1577)伊東家十代義祐は島津氏との戦に敗れ豊後に落ちるに際し、伊東家の守護神伊豆稲荷の祭祀を当神社社祠甲斐助左衛門重祐に依頼され、兵火の中より御神霊を壺中に収め持ち帰り、倉稲魂命、太田命、大宮姫命を合祀し、以後小春稲荷神社と称した。豊臣秀吉に仕えた義祐の子祐兵は、天正十五年(1587)九州の役に参戦し、島津勢が降ってからは飫肥の初代藩主となり、当神社の例大祭には豊後落ちの恩義を忘れず、飫肥名産の蜜柑を毎年名代をつかわし奉献したといわれる。江戸期には米良五社の一つとして領主米良氏の崇敬を受け、祭礼の際には領主の直参、代参があったという。棟札によると寛政二年(1790)十一月甲斐刑部によって再興されている。
幕末、当社の祠官であった甲斐右膳大蔵父子は、尊皇運動の先頭に立ち、文久三年の討幕運動の失敗で、肥後人吉藩に捕らえられ、元治元年に父子相次いで獄死した。このため明治維新に際して社号を消滅させられたが、明治十五年現社名を称するようになった。社殿に至る石段右側の墓地内の甲斐右膳父子の墓は、昭和九年勤王家の墓として県史跡に指定された。
特殊神事として、節分の折の「普通水稲作占い」、また例祭には神楽三十三番が夜を徹して奉納される。
龍柱
龍柱が 迫力がありました。
御守お札授け所
御朱印は こちらでいただけます。
お守り
お守りです。
御朱印
御朱印です。こちらは 通常御朱印です。お狐様がかわいい御朱印です。
月替わり御朱印
月替わりの御朱印です。書置きでいただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。月替わりの御朱印は インスタグラムで確認してください。
かわいい お狐様もいらっしゃいました。
駐車場
広い駐車場があります。
神社情報
兒原稲荷神社(児原)(こばるいなりじんじゃ)
宮崎県児湯郡西米良村大字越野尾134番地1
御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
太田命(おおたのみこと)
大宮姫命(おおみやひめのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
例祭日:12月8日 ※現在は11月下旬の土日
御神徳
商売繁盛、五穀豊穣、海上安全大漁、家内安全、病気平癒、交通安全、厄除け、安産祈願 等
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 606社目の
御朱印をいただきました。
残り 394社です。
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