福岡御朱印巡りで、福岡県久留米市に鎮座する月讀神社(久留米市)(つきよみじんじゃ)に お詣りして 御朱印を拝受して来ました。開運、眼病平癒の神様として崇敬者が多い神社さんです。今日で、766社目です。
鳥居
いつものようにナビで なんとか到着。が、最近 ナビが案内してくれるのは 目的地の裏手?の方で いちいち正面を探すのが ちょっと面倒くさいと思ってしまいます。
鳥居です。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
月読神社には、以下のような由緒が伝えられています。
その昔、竹野郡二田村(現 久留米市田主丸石垣)に、林次郎と三郎という青年が住んでいました。その母親は目を患っており、手を尽くしたものの治らず、途方に暮れていました。そんな折家族に、村の長老から「月讀命を祀る祠がある」ことが伝えられ、次郎と三郎はお詣りを始めます。それは、来る日も来る日も、欠かすことなく続けられたといいます。大雨が降り、祠が水没してもなお祠ごと家に運び入れ、母親ともども拝み続けたのです。すると、天文3年(1534年)1月23日の朝、起きた母親の目が突然見えるようになっていた。というお話しです。
他にもあります。両目を患う古賀又左衛門という男が、ある夜夢の中で、「両目の病を治したくば、月読の神が鎮座する二田村を訪れよ」と月読尊からのお告げを受けます。そこで男は次郎と三郎宅を訪れ、毎日祈願を続けたところ、なんとたったの17日間で両目の病が治ったというのです。
立て続けに月読神社の力を見せられた人々は、口々にその話しを語るようになります。すると、たちまち噂は広がり、次郎と三郎宅には、眼病平癒を願う方が絶えず参拝に訪れるようになっていきます。
月日は流れ、寛延2(1479)年。娘の目の病を治すべく、柳川藩(現在の福岡県柳川市)藩主が代参者を林次郎と三郎宅へ赴かせ、祈願を行ったところ、37日後に見事娘は回復します。
これにより、柳川藩・藩主は感謝の意を込め、立派な社を建て、大雨の日より次郎と三郎宅に移動したままだった祠を移すこととなり、そしてそれこそが、現在の「月読神社」と言われているのです。いかがでしょうか。
実は、月読神社の創建年は、分かっておりません。でも、これほどまでの言い伝えが、今もしっかりと残っています。これはつまり、どれほど月読神社が大事にされ、人々が信頼を寄せていたかの証です。
あなたも、月読尊のパワーを間近で感じてみませんか。
お守・御札
お守とお札もありました。
御朱印入れ
御朱印入れです。
御朱印
御朱印です。うさぎさんがかわいらしく 社印のフォント?が 特徴がある 御朱印です。書置きのものをお受けしました。ありがとうございました。
拝殿の天井絵が 素晴らしかったので 是非 見て欲しいです。
龍神様
龍神様もいらっしゃいました。
神社情報
月讀神社(久留米市)(つきよみじんじゃ)
福岡県久留米市田主丸町田主丸546-2
御祭神:月讀命(つきよみのみこと)
例祭日:1月、5月、9月ー23日~25日
駐車場:拝殿の横の方に停められます。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 766社目の
御朱印をいただきました。
残り 234社です。
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