九州御朱印巡り 今回は福岡御朱印巡りで、福岡県福岡市東区に鎮座する香椎宮(かしいぐう)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。境内には、名水百選の霊泉「不老水」や、御神木の「綾杉」、2000株もあるハナショウブの名所、弁財天社など、散策しながらゆっくり お詣りしたい神社です。今日で251社目です。
1つ目の鳥居
場所は 初めてのお詣りで いつものようナビで行きました。珍しく 迷わなかったです。1つ目の鳥居です。
2つ目の鳥居
2つ目の鳥居です。
楼門
楼門です。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。・・・が 頭 羨ましいくらい小さく 筋骨隆々の狛犬様でした。
拝殿
拝殿です。朱色が鮮やかでした。
奥の方にちょっとだけ 見えるのが本殿です。
由緒
香椎宮は仲哀天皇九年(200)、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源であります。
神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、此の両宮を併せて香椎廟と称しました。
明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しております。起源について
当宮の起源を申しますと、おおよそ西暦200年、今から1800年前にさかのぼります。
当宮御祭神である仲哀天皇(足仲彦天皇 タラシナカツヒコスメラミコト 14代)は、熊襲の反乱を鎮めるべく、神功皇后共々この香椎の地(筑紫 橿日宮)におこしになられました(仲哀天皇8年 199年)。しかし、志なかば仲哀天皇はこの香椎の地にて崩御されました(住吉大神の御神託)。
その後、神功皇后(気長足姫尊 オキナガタラシヒメノミコト)は神のお告げを受けて、海を渡り新羅を平定され、凱旋後、仲哀天皇様の御霊をしずめるべく神功皇后自らお祭されたのが香椎宮の起源となります。由来について
神功皇后は凱旋後、宇美にて皇子、後の八幡大明神・15代応神天皇様(誉田別命ホムタワケノミコト)をお産みになられます。八幡信仰は、後に源氏の氏神・戦神として全国広く信仰されるわけですが、そのため当宮は八幡様の親神様といわれております。
また当宮は古くは「香椎廟」と呼ばれ、朝廷より特別な待遇を受けておりました。そのため、延喜式神名帳には記載されておりません。正式に「香椎宮」となったのは明治以後でございます。
本朝四所 伊勢神宮 石清水八幡宮 香椎宮 気比神宮
また、「続日本紀」天平九年(737)夏四月乙巳朔条に「使を伊勢神宮・大神社・筑紫の住吉・八幡二社(宇佐)・及び香椎宮に遣わし、幣を奉り新羅無礼の状を告げしむ」とある。
当初、当宮は現在の古宮に仲哀天皇・現在の本殿の地に神功皇后をお祭りしていたのですが、大正4年11月10日より、この本殿にて仲哀天皇・神功皇后を主祭神として、皇子の八幡様・応神天皇・新羅遠征にご功績あった住吉大神を併せ祀っています。
お守りお札授け所
拝殿の近くに お守りお札授け所があり、御朱印は こちらで拝受できます。
御朱印
御朱印です。2021年3月当時は こちらの書置きの御朱印のみの拝受でした。
御朱印の裏には この表記があり、たぶん 数量限定なのではないかと思います(私個人の感想です。違ったらごめんなさい)ウコンの色なのですね。とてもきれいな色です。
オリジナル御朱印帳
香椎宮さんのオリジナルの御朱印帳です。小さいサイズ(だったと思います)
御神木
御神木の綾杉(あやすぎ)です。
神功皇后さまが「とこしへに本朝を鎮め護るべし」と祈りをこめられてお植えになった杉で、紀元八六〇年(西暦二〇〇)のことであります。
ちはやふる香椎の宮のあや杉は 神のみそきにたてる成けり
読人 不和 新古今和歌集
秋立つや千早ぶる世の杉ありて
夏目漱石
看板より
案内版
香椎宮周辺歴史散歩案内です。香椎宮の境内は広く 境内社も数多くあり 今回は時間があまりなく すべてを見ることはできなかったので 今度は ゆっくりとお詣りしたいと思います。
参拝者休憩所
境内内には 参拝者休憩所もあり、甘酒などもありました。(私は甘酒は苦手でいただきませんでした)
駅スタンプ
駅スタンプもありました。こういうのを見ると つい集めてみたくなります。
駐車場
すぐ横に 駐車場はあります。
神社情報
香椎宮(かしいぐう)
福岡県福岡市東区香椎4-16-1
御祭神
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
配祀
応神天皇(おうじんてんのう)
住吉大神(すみよしおおかみ)
例祭日 10月29日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 251社目の
御朱印をいただきました。
残り 749社目です。
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