九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、 鹿児島県いちき串木野にある高野山真言宗冠嶽山鎭國寺頂峰院(かんがくざん・ちんごくじ・ちょうぼいん)さんにお詣りして御朱印を拝受して来ました。星祭(節分)厄除け護摩、徐福花冠祭、冠嶽八十八ヶ所歩きへんろなどで 知られるお寺さんです。今日で28ヶ寺目です。
入口
ずっと お詣りしたいと思っていた嶽山鎭國寺頂峰院さんに 到着です。と言っても 今回3度目です。以前 ここまで来て お詣りする勇気がなく 引き返していて 今回は絶対にお詣りすると 気合を入れて やっと お詣りできました。
どなたかの HPでここから 過酷な階段を上がるとあったので 体力的に不安になりながらも ご本尊の不動明王様を目指して 階段を上がります。
参道
こちらが 参道を上がり始めて 入口五丁目?らしいです。距離感と、自分の体力がどれくらいなのか わからなかったので 体力を温存するため いつもより ゆっくり目で歩きました。
この最後の階段を上がると 到着です。時間は 20分くらいだったと思います。思っていたより 近かったように感じました。近づくにつれて 澄んだ空気になったような気がしました。
手水舎
黄不動堂と熊野薬師堂の 間に手水舎はあります。
黄不動堂(万治の宝珠)
こちらが 黄不動堂(万治の宝珠)です。中は 写真撮影はできないので 許可を得て 外観の写真を撮りました。中に入り お詣りさせていただきました。三体の仏像が鎮座されています。
日本の南を守り、この冠嶽より世界の息災と豊饒を祈る目的で神戸鏑射寺より勧請された総高八尺余、一本造りの黄不動明王をお祀りしております。
冠嶽は、素の徐福来山以降二千年余の歴史を有する薩南屈指の霊山です。用明天皇(聖徳太子御父君)の御代、蘇我馬子は勅願により紀州熊野三所権現を当山に勧請し、その別当寺として興隆寺を建立しました。平安時代、阿子丸仙人が天台宗となし、室町時代勅を受け名僧宗寿法印が京都東寺より下るに及んで、真言宗冠嶽山鎭國寺頂峰院と改められました。藩主島津家歴代の信仰も厚く、寺運は大いに高まったと伝えられますが、明治の廃仏毀釈以後そのその全容を知ることは困難となっていました。
昭和58年は、現山主等が入山。山麓に結ばれた葉衣菴に百年ぶりに法灯が点されました。同六一年には宗教法人として認可。平成元年大師堂が落慶し、その後黄不動堂、熊野薬師堂、庫裡と漸次復興建立され現在に至っております。
パンフレットより
熊野薬師堂
六世紀末、用明天皇の勅願のもと、当山の鎮守として阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を本地佛とする熊野三所権現を、お祀りしております。
パンフレットより
御朱印
御朱印です。
九州四十九院薬師霊場、第二十七番札所の納経帳です。コロナが収まったら こちらの納経帳を拝受して こちらの御朱印を拝受したいと思います。
塗香
初めて 塗香(ずこう)で 浄めました。許可を得て 写真を撮らせていただきました。
塗香(ずこう)
仏像や修行者の身体に香を塗って、けがれを除くこと。 また、その香。 仏に捧げる六種の供物の一種。 数種の香木を混ぜて粉末にし、粉末のまま乾燥したものと、浄水と混ぜ練香としたものがある。
駐車場
黄不動堂(万治の宝珠)の近くまで行ける道があり 上にも駐車場がありましたが、道がわからなかったのと、参道をちょっとでも 歩きたかったので 今回はこちらの 駐車場に停めました。
徐福像
駐車場の上にいらっしゃる 日本一の徐福像にお詣りをして御朱印を拝受してから ご挨拶しました。なんとなく 喜んでいるような気がしました。
寺社情報
高野山真言宗冠嶽山鎭國寺頂峰院(かんがくざん・ちんごくじ・ちょうぼいん)
鹿児島県いちき串木野市上名7647−111
九州四十九院薬師霊場第二十七番札所
ご本尊 不動明王
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 28ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 972ヶ寺です。
鹿児島の御朱印が拝受できる神社
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