内山神社【宮崎】鹿児島から勧請したのがはじまりと伝えられています。

内山神社(宮崎)御朱印 宮崎県の神社御朱印
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九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県宮崎市高岡町に鎮座する内山神社(うちやまじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。明治3年に、平賀大明神・久津良大明神・愛宕山大権現・大将軍神社・天満神社・地主神社六社を合祀した神社さんです。今日で、351社目です。

 

鳥居

内山神社(宮崎)鳥居

内山神社さんは、閑静な住宅街の中にあります。大きな通りから、小道を入ったところにありますが、迷うほどではないと思います(私がスムーズに行けたので)道が少しだけ 狭め?なので 気を付けてください。小さめの石造りの鳥居です。

 

手水舎

内山神社(宮崎)手水舎

鳥居をくぐり 左側に手水舎があります。が、お水はなかったです。

 

社殿

内山神社(宮崎)社殿

社殿です。

由緒

当社は慶長五年(1600)庚子、島津藩主義弘公、関ヶ原合戦より帰陣の途、高岡郷を取立て、その節、高岡郷の鎮守として、鹿児島の稲荷大明神の分霊を天ヶ城中腹に勧請したのがはじまりと伝える。もと稲荷七社大明神と称し、別当寺として稲荷寺を建立し、忠助法師を、鹿児島伊集院より移し開山したが、別当寺は明治三年の廃仏毀釈により廃寺となった。旧藩時代は島津家の祈願所として郷社の格を授けられ、神領二十一石五斗余を寄進、祭礼等総て鹿児島城の稲荷祭に準じ行われ、歴代藩主・領民の厚く尊崇する社であった。
元禄二年(1689)破壊により、元禄七年(1694)五月、神饌・拝殿再興、更に天明元年(1781)・宝殿・舞殿再興された。
明治三年二月、神社合併にあたり、平賀大明神・久津良大明神・愛宕山大権現・大将軍神社・天満神社・地主神社六社を合祀し、村社に列せられた。明治三十六年、台風の災害にあい、崇敬者有志の努力によって現在地に鎮座された。

宮崎神社庁ホームページより

 

書置き御朱印

内山神社(宮崎)書置き御朱印

賽銭箱の手前に プラスチックのケースに入った 書置きの御朱印があります。

 

御朱印

内山神社(宮崎)御朱印

御朱印です。鹿児島の稲荷大明神から 勧請したのがはじまりとのことで 丸に十の薩摩藩の家紋が入っています。高岡は、鹿児島にゆかりがあるみたいです。(以前、小耳に挟みました)

 

御守

内山神社(宮崎)お守り

御守です。合格祈願の渋い色のお守りが気になりましたが、合格祈願することがないので、拝受しませんでした。

 

境内社

内山神社(宮崎)境内社

左側が、山の神様で、右側が 観音菩薩様です。

 

井戸?

内山神社(宮崎)井戸?

境内の奥の方に 井戸?(違ったらすみません)が ありました。

 

駐車場

内山神社(宮崎)駐車場

駐車場はなく、近くの公民館に停めても、大丈夫とのことでした。

 

神社情報

内山神社(うちやまじんじゃ)

宮崎県宮崎市高岡町内山2815-ロ

御祭神

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
天津児屋根命(あまつこやねのみこと)
天津太玉命(あまつふとだまのみこと)
倭姫命(やまとひめのみこと)
太田命(おおたのみこと)
玉藻前(たまものさき)
保食持神(うけもちのかみ)

例祭日

2月3日    神酒神供

6月3日    夏祭り・振興行事は昭和年代まで実行

11月3日   例祭 秋の大祭

祈願

商売繁盛、五穀豊穣、家内安全、交通安全、火災災難除け、子孫繫栄、学業成就、安産、縁結び

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 351社目の

御朱印をいただきました。

残り 649社です。

 

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