九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県春日市に鎮座する春日神社(かすがじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。春日の婿押しや、シックな黒の西陣織の御朱印帳と御朱印袋がある神社さんです。今日で、486社目です。
鳥居
鳥居です。
手水舎
手水舎です。手水舎も、きれいに花手水になっていたり、いろいろな装飾がしてあったりします。
門
門も飾り付けられていて、映えスポットとなっています。
帯なども飾られています。インスタとかに 皆様きれいな写真を投稿されています(あみだは、映えな写真は撮れないので、撮っていません)
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
由来
春日神社は、後の天智天皇となる中大兄皇子(626年~672年)が
長津の宮(現在の高宮)に居られる時、春日の地に天児屋根命
(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに由来する。
天児屋根命は、春日権現とも呼ばれ、神仏習合の神といわれている。はじまり
時は神護景雲二年(768年)。太宰大弐であった藤原田麿は、
春日の地に藤原家の祖神である天児屋根命が祀られていることを知る。
そこで参拝した後、故郷である大和の国(現在の奈良)の春日大社から、
雷の神・剣の神といわれる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、
その武甕槌命と関係が深いといわれる経津主命(フツヌシノミコト)、
姫大神(ヒメオオカミ)を迎え、神社を創建することとなる。焼失
長きにわたり、春日の地を見守り続けてきた春日神社だが、
天正十四年(1586年)七月、戦乱の兵火にかかり、社殿や宝物、
文書の一切を焼失してしまう。
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が日本を平定しようとしていた当時、
一時期に比べると戦乱は収まりつつあったが、それでも未だ各地では
争っている地域があり、春日神社もそれらに巻き込まれる形となる。はじまり
戦火で全てを失った春日神社だったが、
慶長五年(1600年)に黒田長政公が筑前国主に任命される形で、
その家老である黒田一成公が春日村知行領主となる。
この一成公は、祖先が藤原氏であることから社殿の復興を命じられた。
寛永四年(1627年)に春日神社の再興に至る。
関ヶ原の戦いが行われ、後に300年にわたる平穏な江戸時代が興る
分岐点となる年に、春日神社にも新しい命が吹き込まれた。
その後、元禄九年(1696年)には、三代知行領主黒田一貫公により
社殿を境内上段に引き上げられ、遷宮の大礼がなされる。そして現在
そこで平成八年(1996年)に社殿の総改修、境内地整備を行い、現在に至る。
境内には、福岡四代藩主綱政公や六代藩主継高公が奉献された石灯籠、高麗拘、鰐口秋月四代藩主黒田長貞公が奉献された
庚申面があることからも、歴代藩主の崇敬の深い神社であることが伺える。
御守お札授け所
御守お札授け所で、御朱印はいただきました。
御守
御守や、お札です。
オリジナル御朱印帳と袋
シックな色合いの西陣織の オリジナル御朱印帳と御朱印帳袋です。
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
春日の杜
春日の杜
天然記念物:昭和38年1月16日県指定
春日の杜(もり)は、春日神社境内の11本の楠(くす)で形成した杜をいいます。杜の古さとともに、長い年月を経てきた樹齢が偲ばれます。いずれの木も樹枝が繁茂し、雄大で、特徴は樹木が近接し、特に3号木は2本の樹木が癒着し、一体となっていることです。
看板より
駐車場
門の横から 入ると駐車場があります。
春日の婿押し
概要
「春日の婿押し」は、前年中に結婚した新郎新婦を祝福する行事で、
成人の日の前日の夜に45歳以下の氏子で
組織された「三期組合」の人たちを中心に行われる行事である。
起源
起源には諸説があるが、1586年に兵火にかかり、
文書や記録が全て焼失してしまったため、今となっては起源説の正誤は
判別できないが、現在まで春日の婿押しが伝承し続けていることから、
地域にとって非常に親しみ深い行事であることは確かである。
詳細は、ホームページを確認してください。
神社情報
春日神社(かすがじんじゃ)
福岡県春日市春日1丁目110番地
御祭神
天児屋根命(あまのこやねのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主神(ふつぬしのかみ)
姫大神(ひめおおかみ)
若宮社(末社)
太刀雄命(たぢからおのみこと)
太玉尊(ふとだまのみこと)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 486社目の
御朱印をいただきました。
残り 514社です。
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