福岡御朱印巡りで、福岡県福津市に鎮座する織幡神社(おりはたじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座し、名は武内大臣が旗を織ったことから「織旗(織幡)」としたとする神社さんです。今日で、668社目です。
鳥居
海のすぐ目の前に鎮座されています。
手水鉢
手水鉢です。
参道
長い階段の参道です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
縁起
平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事を書いた「延喜式」の中に、日本中の神社が記してあります。織幡宮は、筑前十九社の第二番目に記され、宗像郡内でも、宗像大社に次ぐ神社として記録されています。その昔、文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶる岬」として祈った時代もあったと思われますし、織幡宮は武人。武内宿弥を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。古文書に、元禄八年(1695年)社殿造立。元禄十六年(1703年)拝殿成就と記され、古い歴史がしのばれます。
看板より
創建
創建について『宗像大菩薩御縁起』(15世紀中頃成立)によれば、神功皇后の三韓征伐の際に、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内大臣(武内宿禰)の織った紅白2本の旗をつけて戦い、最後にはそれを「息御嶋(= 沖ノ島)」に立てた。そして武内大臣の垂迹の際、その神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座し、名は武内大臣が旗を織ったことから「織旗(織幡)」としたとする。
実際の創建については詳らかでなく、前述のように海人族との関係を推測する説や、『日本書紀』の阿知使主と宗像神の縫工女伝承との関係を推測する説などがある。
御朱印
御朱印です。年毛神社さんで 直書きでいただきました。
巨石
沈鐘と巨石
昔の人は、金埼は鐘崎で、ここには海の向こうの国から来た 釣鐘が沈んでいると語りつぎ信じてきた。そして宗像興氏や黒田長政など その権力にまかせてこの釣鐘を引揚げようとしたが失敗に終わった。ところが大正八年に、山本菊次郎なる人が万金を投してこれを引揚げることに成功した。しかし姿を現したのは、釣鐘ではなくして このような巨石であった。ひとびとはがっかりしたが、いまでも本当の釣鐘は海底に沈んでいるとの思いを捨てかねている。このような話は、沈鐘傅説といって諸国に例があるが ここのは そのもっとも有名なものである 沈鐘と巨石 夢と現実 まことに面白い郷土鐘崎の物語である
石碑より
駐車場
鳥居の手前にあります。
神社情報
縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)
福岡県福津市奴山813番地
御祭神
武内大臣(たけしうちのおおおみ) – 武内宿禰に同じ。
住吉大神(すみよしおおかみ)
志賀大神(しかおおかみ)
天照大神(あまてらすおおかみ)
宗像大神(むなかたおおかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
壱岐真根子臣(いきのまねこのおみ)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 668社目の
御朱印をいただきました。
残り 332社です。
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