九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、 福岡県築上郡築上町に鎮座する網敷天満宮(つなしきてんまんぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。境内には梅の木があり、梅まつりで有名で、桜の花びら散りばめられたオリジナル御朱印帳がかわいい神社さんです。今日で、559社目です。
鳥居
鳥居です。次に向かったのが、網敷天満宮です。海の目の前にある神社さんで、いつものように、ちょっと迷ってしまいましたが、なんとか 到着しました。
狛犬
狛犬様です。
門
門です。
拝殿
拝殿です。
延喜の昔、昌泰四年(901年)左遷された菅公は大宰府に赴く途中季節風に流されこの浜にたどり着かれた。村人等は常の人と異なるお姿に接し取りあえず漁船のとも網をくり敷いてお休みいただき、しばらく休養されたあと筑紫に向かわれた
天歴九年(955年)神託があり国府の命により社檀が造営され船のとも網を丸くくり敷いてお迎えした古事により「網敷天満宮」と称えられた。
その後、寛永十四年(1637年)豊前国主 小笠原忠真、豊後国主、木下延俊 両公により現在の社殿が造営され今日に至っている。
古来、ここ椎田の地は豊後に通ずる街道筋で多くの知名人が当社に参拝している。
元禄七年(1694年)貝原益軒の「豊国紀行」の五月六日の記録に「椎田の四丁ばかり東の浜に松原あり。其内に網敷天満宮の社有海辺佳景なり・・・・」と。
又芭蕉の門人十哲の一人である各務支考の旅日記「西華坊梟日記」の元禄十一年六月四日のところに三籠したことが記され「昼がほよ今宵はここにはまの宮」という句が残されているほか伊能忠敬の「測量日記」(1812年)野田成亮の「日本九峰修行日記」(1819年)等々多くの事跡が残っている。
看板より
綱敷天満宮(高塚)(元県社)
菅原道真が藤原時平の讒言により大宰権帥に降格され、昌泰4年(901)、京都から大宰府に配流の折に船が難破し、ここ高塚の浜に漂着しました。この時地元の人たちが船の綱を円座に敷いて迎えたという故事により、天暦9年(955)、国府の命によって社殿が造営され綱敷天満宮といわれるようになりました。江戸時代には小倉藩主小笠原氏の保護を受け、宝剣、太刀や連歌、また県指定文化財の「西山宗因筆連歌懐紙」「小笠原家奉納和歌集」などが奉納されています。
お守りお札授け所
御朱印は こちらのお守りお札授け所で いただけます。インターホンがあるので 押してください。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
お守り
お守りです。
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。
オリジナル御朱印帳
オリジナル御朱印帳です。写真では ピンク色に見えますが 実際は もう少しオレンジ色よりです。小さいサイズです。
御神輿
境内に お神輿が展示?してあるのですが、・・・
御神輿よりも お面に目が行ってしまいました。
鬼のものや、見たことがないものまで ありました。
大蘇鉄
大蘇鉄
樹齢 三百七十有余年(推定)寛永十四年(1638年)
現在の御本殿造営時の植樹と思われる。
看板より
駐車場
広くて 停めやすい駐車場です。
神社情報
網敷天満宮(つなしきてんまんぐう)
福岡県築上郡築上町大字高塚794番地2
御祭神:菅原道真
主祭日
1月25日:初天神祭
2月25日:梅祭大祭
5月:高塚地区 椎田地区 神幸祭
7月25日:夏祭
9月25日:例大祭
11月25日:新嘗祭
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 559社目の
御朱印をいただきました。
残り 441社です。
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