鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県志布志市志布志町志布志に鎮座する八坂神社(やさかじんしゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。商工会青年部を中心にお祇園さあ祭が盛大に運営されてきた神社さんです。今日で、656社目です。
鳥居
少し前から 御朱印を始められるかも・・・と聞いていまして ずっと、待っていました。令和5年から お正月のみと聞いて お詣りして来ました。
通りから 少し入ったところに 鎮座されています。
手水舎
手水舎です。
右大臣と左大臣
右大臣と左大臣です。
拝殿
拝殿です。
由緒
旧記によれば、当地は往古より島津荘の水門志布志津として上方始め遠近へ通商の船舶が常に輻輳し、豪商が軒を並べ口碑に伝わる志布志千軒町として市井繁盛を極めた。宝永三年二月の文書により、商業神と伝えられる祇園社の存在が想像し得るが、明確な記録はない。安永六年編の文書に「祇園社町下浜辺に在り」とある。また天明三年編の「志布志記」に「祇園社住吉社相殿当町下浜辺に在り 当町繁栄海上安全の為め安永六年丁酉六月勧請するなり」とあり、一時衰えて当年再建されたものと思惟される。慶応二年編の文書には「文久二年宮居作替相成り神輿等申下し祇園会相務め候」とあり、この頃祭典が盛大に挙行されたことが窺われる。明治元年八坂神社と改称して現在に至る。
旧記によれば、当地は往古より島津の荘の水門志布志津として上方始め遠近へ通商の船舶が常に輻輳し、
豪商が軒を並べ口碑に伝わる志布志千軒の町として市井繁盛を極めました。宝永3年(1706年)2月の文書により、商業神と伝えられる祇園社の存在が想像しうるが、明確な記録はありません。
安永6年(西暦1776年)編の文書に「祇園社町下浜辺に有り」とあります。また天明3年(1783年)編の
「志布志記」に「祇園社 住吉社相殿当町下浜辺に在り、当町繁栄、海上安全の為め安永6年丁酉六月勧請するなり」とあり、一時衰えて当年再建されたものと推測されます。
慶応2年(1866年)編の文書には「文久2年(1862年)宮居作替相成り御輿等下し祇園会相努め候」とあり、このころ祭典が盛大に挙行されたことが窺われます。
明治元年八坂神社と改称し、先の大戦を経て昭和28年10月、下八坂より志布志2458番(下大黒)に移転、昭和31年改築。その頃より商工会青年部を中心にお祇園さあ祭が盛大に運営されてきました。
平成19年の台風により大被害を受け倒壊寸前となり、平成22年4月8日現在地に移転し現在に至ります。
御守お札授け所
御朱印は、拝殿横のお守りお札授け所で いただけます。
お守り
お守りです。
御朱印
御朱印です。書置きのものをお受けしました。お正月の三が日のみの領布とのことでした。ありがとうございました。
駐車場
境内の横にあります。
神社情報
八坂神社(やさかじんしゃ)
鹿児島県志布志市志布志町志布志1-3133-59
御祭神
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
例祭日:11月24日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 656社目の
御朱印をいただきました。
残り 344社です。
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