九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県日南市に鎮座する駒宮神社(こまみやじんじゃ)に詣りをして御朱印を拝受して来ました。 日向シャンシャン馬発祥之地でもあり、社殿の奥には、パワースポットもある神社です。今日で141社目です。
鳥居
石造りの白い立派な鳥居です。
手水舎
手水舎です。
社殿
社殿です。
由緒
「日向地誌」は「文武天皇の大化元乙未創建、神武天皇を祭る」としているが、元禄二年(1689)、飫肥藩主伊東祐実が再興したとくの棟札が正しいとして、「県史蹟調査第六輯」では、丁酉説を是としている。旧称を駒宮大明神といい、神武天皇の幼少時の少宮趾として伝えられ、「駒宮大明神縁起」によると、弘治二年(1556)六月には駒宮領二町、足洗田一町を御供田として有し、ほか屋敷一ヶ所を所有していた。往古は相当な大社であり、神宮寺という寺跡があり、神社の別当寺だったかもしれないが、安政初年の広渡川の氾濫で水没、また入田原に大馬場があって流鏑馬神事で賑わっていたという。(日向地誌)
鵜戸神宮の縁起に関連して、「駒宮あり、龍石という龍馬を祭る。天皇御幼穉の時、吾平山に住み賜ひけるが、折々鵜戸に通ひ給ひし時の船繋の松(駒繋松)、草履石、駒石形石などがあり、土地の人が尊崇す」という(日向国神祇史料)。また天皇が鵜戸方面に向かわれるとき、愛馬龍石を草原に放たれたという立石(当社より四キロ)はその後牧場となり、藩政時代は牧奉行が置かれ、その駒追には必ず馬を引下し、駒宮に参る習いから、例祭には各地から着飾った馬が集まり、シャンシャン馬もこれに始まり、馬踊りも奉納されたという。明治四十三年の日州新聞には、数多くの馬がお参りしたことを伝えている。
棟札によると、元禄の再興は正保年間の災上によるもので、その後宝永三年(1706)十一月拝殿、宝暦十三年(1763)九月に造営が行われ、伊東家からは神領三石のほか領主参拝の都度、銀二両が奉納されている。明治維新に際し、平山神社となったが、のち駒宮神社と改められた。明治四十年二月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。
昭和九年の神武天皇御東遷二千六百年には少宮趾として、全国奉賛会から顕彰され、本殿の修理と境内を拡張整備した。同十五年の紀元二千六百年祭には、県奉祝会の顕彰と地元氏子崇敬者 の浄財で、本殿の修理をはじめ祝詞殿、拝殿などの大改修を行い荘厳さを加えた。
伝説地には、先ほどあげた他に天皇の御鉾を大岩の下に埋めたという御鉾の窟、御手洗池、天皇に煮花を差し上げたという別府、天皇の井戸などがある。
特殊神事には、旧暦二月九日、煮花祭がある。菓子代わりに餅籾を煎ったものを差し上げた故事が続けられ、神事となったという。材料の餅籾を祭典に供え、祭典終了後、持ち帰って焙烙で煎り、半分は神社に供え、半分は家内安全を唱えて家族一同がいただく。
祭りは五穀豊穣の祈年祭で、祝詞奏上などの後、煮花祭の神歌を歌った後、三方の籾を神前にまき、その後鍬代わりの又木で地割をし、苗(草を代用)を植える。
絵馬
絵馬です。合格祈願の絵馬です。
社務所
社務所なのか ちょっとわからないのですが、社殿のすぐ横に、この窓口?があります。
この窓口に 書置きの御朱印があります。こちらのケースに 入っているので 御朱印代金を 小さな賽銭箱に入れ スタンプがあるので、御朱印に押して 日付を入れます。
御朱印
御朱印です。この時 宮崎方面の御朱印をいただくようになり 宮崎の方は 書置きの御朱印が多いなと思っていました。コロナになってからは 書置きの御朱印が増えたように感じます。
パワースポット入口
拝殿 左奥にある こちら パワースポットなのでけど、すごかったです。 Σ(・ω・;)
階段を上がると この大きな岩があり 上の方にも 小さな祠があります。
ここだけ 空気というか雰囲気が全然 違いました。
駐車場は、神社の前にあり、整備されているので 止めやすいと思います。
神社情報
駒宮神社(こまみやじんじゃ)
宮崎県日南市平山1095
御祭神
神武天皇(じんむてんのう)
例祭日 11月5日
社務所受付時間 9:00~16:00
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 141社目の
御朱印をいただきました。
残り 859社です。
宮崎県の御朱印が拝受できる神社
宮崎県の御朱印が拝受できる寺社
宮崎ご当地グルメ