九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県小林市野尻町に鎮座する高妻神社(こうづまじんじゃ)に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。大正初期より末期まで城攻踊、棒踊り、伊勢神楽等奉納があった神社さんです。今日で、460社目です。
鳥居
国道268号線から 少し入った所に鎮座されています。この鳥居があるので すぐにわかると思います。
鳥居をくぐり 上からは こんな感じです。
手水鉢
大きな岩をくり抜いた 手水鉢です。(私好みです)
拝殿
拝殿です。境内は 一部苔も生えた所があり 静かで落ち着いた雰囲気です。
由緒
旧称を入神大明神と称し、素盞鳴命、猿田彦命、大山祇命の三神を当時の「神谷村」、現在の紙屋村に古くから祀っていた。
『三国名勝図会』によると、「鎮守として、高妻八社大明神があり、猿田彦命を祀り、天明六年(1786)再興の棟札があるという」とある。また『日向地誌』によると、素盞鳴尊を祀り、旧称八社大明神といったが、明治初年に高妻神社と改め、さらに紙屋神社と改めたとある。明治四十三年一月二十五日、旧道沿いの秋社野の小高い丘の中腹にあった秋社野大将軍神社を当神社に合祀した時秋津毘古命を加え、四神となった。
この時より高妻神社と改めた。その後(年代不詳)当神社は火災となり棟板二枚の焼残りを現在奥殿に安置している。
昭和十三年七月当村氏子の念願かなって再興社殿の新築となった。四神を合祀し神鏡を奉祀してある。境内には樹齢四百年以上の杉その他常緑樹が繁っている。大正初期より末期まで城攻踊、棒踊り、伊勢神楽等奉納があった。昭和初期頃より永年例祭には剣道奉納試合が盛んに行われていた。
境内には大正元年九月高木兼寛男爵(海軍医総監)が県下の優良校であった紙屋小を訪問後、当神社参拝したのを記念した巨石の記念石がある。明治十年の役の戦没者十二柱を祭った招魂社を昭和三十五年に紙屋の弓場から移転奉祀し、同年にまた大東亜戦争の戦没者陸軍九十六名、海軍二十二名計百十八柱の忠霊碑が、遺族会によって建立されている。
御守お札授け所
実は 今回4回目のお詣りで 御朱印を拝受しました。近くに来た時には お詣りさせてもらっていました。お正月には いらっしゃるだろうと思い 正月にお詣りしたのですが、ちょうど 神主さんが不在だったので 連絡をして 今回 拝受しました。
御朱印
御朱印です。約束の時間より 早めの行ったつもりでしたが、先に来て下さり、お詣りの時には お祓いまでしていただきました。直書きでいただきました。常駐されていないので、事前に連絡をして 拝受されてください。
写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきました。ありがとうございました。
御神木
境内にある 樹齢400年以上の御神木の杉の木です。
天照皇大神宮の御札と御朱印
数年前に、初めて天照皇大神宮の御札をいただいてから 毎年 お札をお祀りするようになったのですが、今年はまだだったので 天照皇大神宮の御札をお受けしました。で、なんど、この天照皇大神の御朱印もついて来ます(変な言い方ですみません)
もし、まだ 天照皇大神宮の御札をお受けしていない方 はっきりとは私自身わからないのですが、宮崎県の一部の神社さんで、お札と御朱印が一緒にお受けすることができます(お札の初穂料で御朱印もいただけます)
どこの神社さんにあるかは 挟野神社さんに問い合わせてみてください。(ブログ掲載の許可もいただきました。)
挟野神社
あみだ家の御札は こんな感じで 真ん中に天照皇大神宮の御札で、右側に氏神様で、左側に 稲荷神社さんです。御本尊と、閻魔大王様も いらっしゃいます。
神社情報
高妻神社(こうづまじんじゃ)
宮崎県小林市野尻町紙屋2007
御祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと)
素盞鳴命(すさのおのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
秋津毘古命(あきつひこのみこと)
例祭日:11月23日
駐車場:駐車場は、鳥居を正面に見て 左側から 社殿の近くまで上がれる小道があり広い駐車場があります。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 460社目の
御朱印をいただきました。
残り 540社です。
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