宮崎御朱印巡りで、宮崎県小林市に鎮座する霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)にお詣りして、御朱印をいただいて来ました。霧島六社権現の一社の神社で、社殿に昇殿して 龍柱に願掛けができ、オリジナルの御朱印帳も素敵で、家内安全・子孫繁栄・縁結び・子宝・子育てにご利益がある神社さんです。今日で、18社目です。
鳥居
周りは あまり民家なども少なくかと言って 山の中でもなく 道路も走りやすいので 迷うことなく行くことができると思います。私は ナビで行くので 道はあまり覚えていないのですが、大好きな神社の一社なので 近くに行き 時間があると 必ずお詣りさせていただいています。
1つ目の鳥居です。
駐車場に車を停めて 社殿に向かいます。写真の中央に 見えているのが 2つ目の鳥居です。
真ん中は 神様が通るので 端を歩きます。(所説ありますが、私は左側を歩きます)
手水舎
手水舎です。仁王像がある所にも 手水舎はあり、岑神社には2つの手水舎があります。私は 社殿に近い手水舎で お清めしました。苔?が いい感じでした。
社殿
社殿です。
由緒
往古霧島岑神社は高千穂峰の中腹瀬多尾(瀬戸尾ともいう)の高地に鎮座されていた。
承和四年(837)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預り、のち従五位上を授けられる(『続日本後紀』)。天安二年(858)従四位下に叙せられる(『三代実録』)とあり、『延喜式神名帳』には日向の国式内四座の一つであると記されている。天慶天暦(十世紀)の頃性空上人が霧島岑神社に参籠の折山麓五方に夷守神社外四社を創建し本社である霧島岑神社(別名・霧島中央権現)を合わせて霧島六社権現と称した。また、当社の鎮座地を瀬多尾といったので瀬多尾権現とも称し、別当寺を瀬戸尾寺と称したと伝える。
天永三年(1112)韓国岳噴火、仁安二年(1167)大幡山噴火と相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に再建された。文暦元年(1234)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し、社殿は焼失、この高地に湧いていた「天の井」も涸れたので末社の霧島王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称した。その地に座すこと四八〇余年、享保元年(1716)新燃岳の噴火によって、社殿宝物類は焼失、ご神体は今坊権現に奉遷、次いで細野村岡原に遷座されたが、新瀬戸尾の地は荒廃したので、享保十四年(1729)夷守岳中腹に社殿を再建し、明治初頭まで鎮座された。その地を未だ築地という。
島津氏からも厚く崇敬され、島津義弘が飯野城にいた頃は、特に当社を敬仰し、度々参詣した。また、島津義弘寄進状によると、神領として毎年俵物一〇〇ずつ寄進している。
明治五年県社に列せられ、翌六年細野村に合祀の世論高まり、夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、改めて旧夷守神社の跡地(現在地)に霧島岑神社を奉遷した。明治十三年には霧島神宮(鹿児島県)の摂社となった。
龍柱
こちらの神社 なんと 社殿の中に上がれるのです。ヽ(*’0’*)ツ ワァオォ!! (ちゃんと神主さんに許可を取ってくださいね)社殿の中にある この龍柱は すばらしいですよね。
龍柱 結構あちこちの神社にあるのですが、こちらの岑神社の龍柱は この龍柱に抱き着き 願いことをすると叶うと伝えられています。が、神域なので、直接触ることはできないのですが、すぐ近くで 見ることができるので、近くで龍神様を見てください。
左側の龍神様です。
右側側の龍神様です。
岑神社では 夷守神社の御朱印も拝受できます。
社務所
境内の中にある社務所です。こちらで 御朱印は書いていただけます。
御守
元気になる 御守です。(≧∀≦)ノ
オリジナル御朱印帳
久しぶりにお詣りをしたら、オリジナルの御朱印帳ができていました。令和になる 少し前にできたそうです。龍柱の木の御朱印帳です。小さいサイズの御朱印帳で、思っていたより 軽いです。
御朱印
岑神社の御朱印です。
夷守神社の御朱印です。力強い書体の御朱印です。
駐車場
駐車場は 広いので停めやすいです。境内の中に 社務所があり 神主さんが常駐されているので御朱印はいただきやすいと思います。霧島六社権現のうちの一社でもあります。霧島六社権現は また後日紹介したいと思います。
神社情報
霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)
宮崎県小林市細野4937
御祭神
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
例祭日 11月18日
1000社目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 神社だけで 1000社です。
今日で 18社目の御朱印をいただきました。
残り 982社です。
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