九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県宮崎市村角町に鎮座する高屋神社(たかやじんじゃ)に詣りをして御朱印を拝受して来ました。高屋神社伝統神事の神楽守と、高屋山山陵を是非 お詣りしてほしい神社です。今日で143社目です。
鳥居
鳥居です。この高屋神社さんは 小道を入って そこからまた少し入ったところにあります。途中小さめの看板が 曲がり角の所にあるので その看板に気づけば わかると思います。
手水舎
手水舎です。木造のシンプルな手水舎です。
社殿
社殿です。
由緒
創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(1611)社殿改造の棟木あり、また仁明天皇嘉祥二年(849)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。
当社西方の小高い処は、彦火々出見命の山陵と言い伝え、「日本書紀」にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。また景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。
山陵付近には命にちなむ地名が残っている。竹園(たけぞん)は、命のご降誕の時その臍の緒を切った竹刀を投げた所と伝える。袍ノ園(いやんそん)は、命の臍の緒を切った所と伝える。安園(やすぞん)は、命のご降誕の地と伝える。その他、天神川・御手洗川、犬ヶ城等の地名が残っている。
当社はもともと高野(高屋)八幡宮と称していたが、宝暦時代以降高屋宮と称するようになり、明治になって高屋神社と称し現在に至る。
お守り
高屋神社伝統神事の神楽守です。高屋神社オリジナルのお守りです。
御朱印
御朱印です。賽銭箱の横に 書置きがあり、賽銭箱に納めます。
御朱印です。自分で 日時を記入します。
高屋山上陵
彦火々出見命御陵墓 高屋山上陵の入り口です。
絵馬
かわいい桜の花の絵馬です。
弘法大師様です。
他にも 石像があり お詣りさせていただきました。
トイレ
社殿の奥の方にトイレはあります。
駐車場
駐車場は 木があり 少し止めにくいです。
昔から 神社巡りはしていて ここ数年くらい前から 涙が出ることが たまにあります。悲しくなるとかの感情はなく ただ、涙が出るだけです。とある 鹿児島の神社では 初めてお参りした神社なのに 懐かしく、温かい気持ちになって しばらく 涙が止まらなくなったこともありました。
今回 お参りした こちらの神社では 初めて 号泣してしまいました。
朝早い時間に 到着して、駐車場に車を停め 手水舎で清め 社殿に向かいます。途中 神主さんと すれ違い
神主さんに 「ゆっくりお参りしてください」と
声を掛けていただき、社殿へ・・・
大鈴を鳴らしたあたりから 突然込み上げてくるものがあり泣き出しました。いつもの 涙が出る程度ではなく 賽銭箱の前で ひざまついて 嗚咽が出るくらい 激しく泣いていました。
嗚咽とは
感情が抑えきれなくなり、声が漏れてしまっている様子 だそうです。
15分くらい その場で 泣き続けました。誰も来なくて よかったです。(´∀`;)今まで ここまで 泣いたこともないですし 考えても よくわからないです。神様が なにか 伝えたいこととか
あったのでしょうか・・・ 泣いたあとは すっきりしました。(*´ェ`*)
神社巡りをしていて 不思議なこと?が 幾度かありますが、号泣したのは 初めてでした。
神社情報
高屋神社(たかやじんじゃ)
宮崎県宮崎市村角町橘尊1975
御祭神
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
景行天皇(けいこうてんのう)
例祭日 11月23日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 143社目の
御朱印をいただきました。
残り 857社です。
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