長崎御朱印巡りで、長崎県諫早市に鎮座する高城神社(たかしろじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。境内には諫早の歴史を物語る石造物などが多く残っている神社さんです。今日で、720社目です。
鳥居
鳥居です。
神社入口の大鳥居には「石工武富儀平、明治十五年一月 壬午」・「下本明村(現在の金谷町、城見町、天満町)敬立」とあります。武富儀平は諫早家が佐賀より招いた武富納助の子孫にあたります。高さ約5.3メートル。本殿前の鳥居も明治十五年の建立で「諫早邑敬建」とあります。諫早邑は諫早中央部の当時の諫早村と諫早町のことです。
看板より
手水舎
手水舎です。
手水鉢
手水鉢が珍しい形でした。
狛犬
狛犬様です。
入口と本殿の二対があります。本殿下のものは藤原辰五郎(田結)、横尾覚太夫(岡町)、入口のものは横尾覚馬(横尾覚太夫の孫)の手によるものです。
看板より
拝殿
拝殿です。
当社は、諫早藩初代藩主・龍造寺家晴公(1555~1613)を御祭神として、第十二代藩主・茂洪公(しげひろこう)により、天保十三年(1842)城山(現在の諫早公園)頂上に高城明神として祀られたものを、明治十五年(1882)庶民の寄附により、本明川河畔(現在の高城公園)に移され、高城神社と称し創建された。
御祭神の家晴公じゃ、天児屋根命の末裔・藤原鎌足公の八代目・俵藤太秀卿公の二十五代の子孫にあたる。また、家晴公の嫡子・第二代藩主・直孝公(なおのりこう)が、姓を龍造寺から諫早に改め、現在の地名に至っている。
また当社は、戦前までは県社であり、旧諫早藩領内の総鎮守として、諫早家から庶民に至るまで、厚く信仰されてきた。
しかし、昭和三十二年の諫早大水害の折、当社もその難に遭い、城山の一角にある現在の地に遷座された。
亀は御祭神のお使いとして崇められている。本明川の大亀の説話や高城城址が亀城と呼ばれ、城を守った謂れがあり、頂上には「亀塔(がめんと)さん」が奉られている。
パンフレットより
神楽受付所
御朱印は 境内の横にある 神楽受付所で いただけます。
御守
御守です。
御朱印
御朱印です。月替わり限定の 御朱印が数種類ありました。
悩んで、直書きでいただける こちらの御朱印を お受けしました。
駐車場
境内に停めることができます。
神社情報
高城神社(たかしろじんじゃ)
長崎県諫早市高城町1−5
御祭神:龍造寺家晴(りゅうぞうじ いえはる)公
受付時間:9:00~16:00
例祭日:10月15日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 720社目の
御朱印をいただきました。
残り 280社です。
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