大分御朱印巡りで、大分県竹田市に鎮座する城原八幡社(きばるはちまんしゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。八幡大菩薩降臨のお告げによって建立されたという不思議な言い伝えがある神社さんです。今日で、748社目です。
鳥居
こちらの神社さんは 神主さんが常駐されていないので 先にとあるところ(下で紹介します)に行って 御朱印をお受けしてから お詣りしました。鳥居です。
楼門
とても 大きく立派な楼門がありました。
狛犬
狛犬様です。
手水鉢
楼門の手前に 手水舎がありましたが、使用されていない感じで 拝殿の手前に手水鉢がありました。
拝殿
拝殿です。
当神社は、858年に八幡大菩薩降臨のお告げによって建立されたという不思議な言い伝えがあります。日本書紀の「土蜘蛛討伐」のお話の中に城原の地での出来事が書かれています。岡藩(中川氏)の総鎮守であり、豊後八幡七社のひとつ「岡の城原」と呼ばれていました。
令和2年には、境内の美化活動中に根元が繋がった2本のケヤキ愛称「結びの木」が見つかり話題となりました。現在は静かな山村です。かつての賑わいを少しでも取り戻したいという思いから氏子や有志の方々が神社活動を通じて地域を盛り上げています。皆さまの温かい応援をよろしくお願いします。
パンフレットより
沿革
『日本書紀』によれば景行天皇が景行天皇12年(伝82年)に熊襲征討の折り、碩田国(現在の大分県)に巡行し土蜘蛛を討った際に城原に行宮を置いたとされる。社伝では、当社は応神天皇2年(391年)に行宮跡(城原八幡社上松原社地)に祠を設けたことに始まるとされる。天安元年(857年)には、八幡神が顕現したため、国司豊後守石川宗継が殿宇を造営してて八幡神を配祀し、城原八幡社と称するようになったと伝えられる。また、源為朝が荒廃した当社を再興し、その際に社殿を東面させたとも言われ、通常の神社建築では社殿が南面するのに対して、当社は現在の社殿も東面している。建久7年(1196年)に大友能直が豊後国に入国すると、豊後八幡七社のひとつとして大友氏の庇護を受けた。
天正14年(1586年)、島津軍が豊後国に侵攻した際(豊薩合戦)に焼失した。その際、八幡神は宮司によって産山村(熊本県産山村)隠川へ奉安されたが、文禄3年(1594年)に中川秀成が岡藩に移封されて竹田に入ると、当社を勝山に遷座して岡の総鎮守となし、勝山は八幡山と呼ばれるようになった。さらに慶長元年(1596年)には、霊験により城原の現在地に遷座するとともに、城原の旧地を松原となした。
神楽が奉納されるのではないかと思われる建物・・・
社務所
境内にある社務所です。
お守
お守です。
御神木
御神木です。
駐車場
境内の隣に駐車場はあります。
道の駅 竹田(たけた)
城原神社から 数分のところにある 道の駅竹田で 御朱印はお受けすることができます。
御朱印
書置きのみで お受けしました。ありがとうございました。
神社情報
城原八幡社(きばるはちまんしゃ)
大分県竹田市米納1048
御祭神
景行天皇(けいこうてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(八幡神)(おうじんてんのう)
比売大神(ひめおおかみ)
他二神
年間行事
1月1日:歳旦祭
2月11日:紀元祭
6月30日:夏越の大祓、茅の輪くぐり
7月中旬:竹田夏越祭り
10月9日に一番近い土曜日:万葉の里 城原夜神楽
10月9日に一番近い日曜日:秋季例大祭
11月23日:新穀感謝祭
12月31日:歳越の大祓、除夜祭
道の駅 竹田(たけた) ホームページ
大分県竹田市米納659
営業時間:8:30~17:30
休館日 :12月31日~1月1日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 748社目の
御朱印をいただきました。
残り 252社です。
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