杵築城【大分】猛攻撃に2か月も耐えたことから「勝山城」とも呼ばれる

杵築城(大分)御城印御城印
スポンサーリンク

九州御朱印巡り 大分御城印(御城郭)巡りで大分県杵築市にある杵築城(きつきじょう)まで行って来ました。小さなお城ですが、神龍の掛け軸や、最勝寺の諸仏、役(えん)の行者の木像などがあるお城です。今日で御城印 16体目です。

 

杵築城(大分)門

今にも 雨が降り出しそうな中 次に向かったのが 杵築城です。初めて 大分に行った時も あいにくの小雨の中 御朱印巡りをしました。

 

外観

杵築城(大分)御城

桜が咲き 満開だともっと きれいだろうなと思いつつ 天守閣を目指します。

杵築城の沿革

応永元年(1394)木村頼直によって八坂・高山両河口に岬状に突出する城山台地(台山)に築造された木付城は、東に守江湾が拡がり、南に八坂川、北の高山川に囲まれた天然の要害であった。木村氏築造の頃は台山を空堀で4つに区切った連郭式の平山城であった。

文禄二年(1593)、大友氏の豊後除国に伴い木村氏も滅亡し、それ以降豊臣系の大名により中世城館から石垣等を使用した近世城郭へと改変されていく。発掘調査により台山北麓で、この時期の石垣と考えられるものが発見されている。慶長5年(1600)の関ケ原前後、杵築周辺は細川忠興の領地となり。慶長6年以降は、細川の家臣の中でも別格の松井氏が城代となり、さらに近世城郭化が進む。現在の模擬天守の西側や、南側では、この頃の石垣と想定されるものが、今でも一部露出している。

元和元年(1615)に江戸幕府が発した「一国一城令(一国もしくは一大名に、政庁とする一つの城を残し、ほかの城は破却するというもの)」により台山の城は破却され、城としての機能は北麓に移る。以降、江戸時代を通じての杵築城は北麓の藩主御殿(平成28年2月大分県指定史跡)等となる。台山と藩主御殿との間の堀の石垣や、御殿北側の石垣はこの頃のものと考えられる。松井氏は城代、次の小笠原忠知以降は城主であるが、引き続き北麓を使用した。

昭和45年(1970)10月に、市内外の有志多数の協賛により台山の現在の模擬天守が建てられた。

なお、天正14年(1586)島津家久の豊後乱入の際、猛攻撃に2か月も耐えたことから別名「勝山城」とも呼ばれている。

パンフレットより

 

城内

杵築城(大分)御城内

城内には いくつもの 甲冑などが展示されています。

 

杵築城(大分)御城内

かっこいい~

 

十市石谷画

杵築城(大分)龍神様

十市石谷画 神龍(啓蟄)

目力がすごい 龍神様です。

 

最勝寺の諸仏

杵築城(大分)最勝寺の諸仏

最勝寺は養老元(717)年頃創建。今は廃寺だが跡には室町時代のものと思われる宝篋印塔・五輪塔が散在する。安置された仏像のうち薬師如来坐像(78.8cm)日光菩薩立像・月光菩薩立像(91cm)は地方の仏師によって彫られたと思われる藤原時代の秀作。桧材を用いた一木寄木造りである。

城内説明文より

 

役(えん)の行者

杵築城(大分)役(えん)の行者

うまく写真を撮れていませんが、役(えん)の行者です。

役行者尊神変大菩薩は、我国修験道の開祖といわれ、此の世に在りし日の名を役小角(えんのおずぬ)と言う、生没ははっきりしない。

孔雀明王の呪を唱え修業を重ね数々の霊験を現し、験力で人々の救済をしたと言われる。国東半島には、修験の盛時を偲ばせるように役小角をまつる寺も多い。木像は珍しい。

城内説明文より

 

天守閣からの景色

杵築城(大分)御城からの景色

天守閣からの景色です。(晴れていたらもっと 綺麗だったろうと思います)

 

御城印(御城郭)

杵築城(大分)御城印(御城郭)

御城印です。入口で購入することができます。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。(受付のお姉さま方に、どうぞどうぞと、言ってもらいました)ありがとうございました。

 

1394年の築城以来、600年もの間この町を見守ってきた杵築城。模擬天守とはいえ、城跡にそびえる三層の天守閣は在りし日のこの城の姿を偲ばせる。

室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。
その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、城主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。

文献史料と発掘調査成果から「一国一城令」による破却以前の城の建物構成や構造が分かるなど、江戸時代初期の城郭の実態を知る上でも重要であるとされ、2020年3月に台山地区の城跡と麓の藩主御殿跡が国の史跡に指定された。現存するのは一部石垣など。

現在では、山上が城山公園として一般にも開放されていて、市内のあちこちで発見された国東塔など貴重な石造物を野外展示している石造物公園もある。

築城当時“木付”と命名されながら、幕府朱印状に誤って“杵築”と記されて以来「杵築」に。
また島津の猛攻撃に2か月も耐えたことから別名「勝山城」とも呼ばれている。

大分県杵築市観光協会公式ホームページ

 

宝塔など

杵築城(大分)宝塔など

近くには たくさんの塔?が 立っています。

 

駐車場

杵築城(大分)駐車場

駐車場です。もう少し離れたところにも 停められるところがありました。

 

 

施設情報

大分県杵築市杵築16-1

営業時間 :10:00~17:00(入場は16:30まで)

定休日 なし

入場料

(個人) 一般 400円/小・中学生 200円
(団体) 一般 320円/小・中学生 160円

 

 

大分県の御朱印が拝受できる神社

大分県の神社御朱印
大分県内の御朱印が拝受できる神社の御朱印を紹介しています。他にも 御朱印帳やお守り、駐車場、御神水などいろいろな情報も 紹介しています。

大分県の御朱印が拝受できる寺社

大分県の寺社御朱印
「大分県の寺社御朱印」の記事一覧です。

大分ご当地グルメ

大分ご当地グルメ
「大分ご当地グルメ」の記事一覧です。

 

タイトルとURLをコピーしました