九州御朱印巡り 佐賀御朱印巡りで、佐賀県佐賀県佐賀市に鎮座する龍造寺八幡宮(りゅうぞうじはちまんぐう)さんと、楠神社さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。家内安全、商売繁盛などにご利益がある神社さんです。今日で、383社目と、384社目です。
鳥居
次に向かったのが、龍造寺八幡宮(りゅうぞうじはちまんぐう)さんで、一度通り過ぎて、ぐるっと周って なんとか駐車場に到着しました。
石造りの重厚感のある鳥居です。
手水舎
手水舎です。
橋があります。橋があると渡りたくなるのが 私です(高所恐怖症ですが、高さがなかったので 余裕でした)が、角度があり 腰が引けた状態で ちょっとずつ 渡りました(笑)
社殿(龍造寺八幡宮)
社殿です。
白山1丁目に鎮座する龍造寺八幡宮は、建久年間(1190年〜1199年)に鶴岡八幡宮から勧請され、慶長9年(1604年)に佐賀城内から現在地に遷座されました。
境内には南面して石鳥居、石橋、拝殿、本殿が建っています。石鳥居は慶長9年(1604年)の刻銘を持つ肥前鳥居で、佐賀市重要文化財に指定されています。本殿は大型の入母屋造社殿で、建築年代は19世紀中期と考えられています。屋根は銅板葺、正面に千鳥破風、向拝に軒唐破風を付し、華やかな外観を呈し、随所に彫刻を施し、細部も装飾性に富み、拝殿は入母屋造銅板葺、正面に軒唐破風、向拝三間を設けています。建築年代は、境内の南側と東側の道路新設のため、境内を北方へ拡張移転した明治34年頃と考えられています。
境内には市指定の保存樹である楠をはじめ、樹齢を重ねた樹木も多く、街中にあって一時の落ち着きの場を提供しています。これら樹木が石造物や社殿とともに佐賀市の重要な歴史的景観を形成しています。
創立
文治三年(1187)龍造寺家の始祖南次郎季家が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請して祀った。
神徳
戦国時代までは龍造寺一門の守護神、佐賀の鎮護の神、江戸時代は佐賀開府の神、歴代藩主の産土神一般庶民の参拝も許され、明治となり廃藩置県後は佐賀市中心の氏神として一切を氏子でもって奉仕することとなり、郷社として佐賀市より幣帛料の供進を受けつこととなった。
現在は安産、初宮、七五三など子どもの成長を見守る神、厄除、家内安全、商売繁盛、交通安全の神として九州一円より崇敬されている。
看板より
社務所
境内の中にある 社務所です。こちらで直書きで いただきました。
御守り
御守りです。
龍造寺八幡宮、楠神社、子育て恵比須の御朱印が拝受できます。
御朱印
御朱印です。
御朱印帳
御朱印帳もありましたが、神社名が入っているかわかりませんでした。
社殿(楠神社)
楠神社さんの社殿です。
由緒
嘉永6年(1853)弘道館国学教諭枝吉神陽が安房に父子像の八幡宮への遷座を建言 安政3年遷座祭、同5年楠神社御祭を斎行した。大正14年(1925)佐賀楠公会が結成、昭和20年(1945)の終戦まで維持運営された。
なお父子像は寛文2年(1662)二代藩主光茂の代に深江信渓大木英鐵等が京都の佛師法橋宗而に製作を依頼し、翌3年大和町永明寺に祀られた。それが佐賀楠公奉祀の始まりで、元禄5年(1692)徳川光圀の湊川建碑「鳴呼忠臣楠子之墓」に先立つこと29年、実に日本最古の楠公父子の祀殿である。
歴代藩主公認のもとで楠公父子を慰霊、義勇忠孝を顕彰する祭祀を行った。幕末には楠公義祭同盟の加盟者が数多く毎年の義祭に参列した。(詳しくは境内の義祭同盟之碑」参照)
看板より
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。許可もいただきありがとうございました。
子育て恵比須
恵比須様です。
駐車場
境内のすぐ横に コインパーキングがあります。
神社情報
龍造寺八幡宮(りゅうぞうじはちまんぐう)
佐賀県佐賀市白山1-3−2
御祭神
応神天皇(誉田別命:ほむだわけのみこと)
相殿の神
神功皇后、玉依姫命、天児屋根命、
住吉三神(表筒之男命:中筒之男命・底筒之男命)
楠神社さん
御祭神
楠 正成之命(くすのき まさしげのみこと)
楠 正行之命(くすのき まさつらのみこと)
例祭日
春 4月15日
秋 11月3日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 383社目と、384社目の
御朱印をいただきました。
残り 616社です。
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